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城と名のつく所へくると俄かにスイッチが切り替わることを諦観してくれた家内に感謝。
このため、朝食後はそれぞれバラバラに単独行動。
家内との待ち合わせはJR新大阪駅。
タイムリミットは午後1時43分発の座席指定のひかり34号。
本日の行動時間を当てはめれば、遅くとも午後1時頃にはJR大阪駅必着。
前日の綿密なる行動計画に従い通勤時間帯のJR環状線にて玉造方面へ。
目的地は昨日は日没コールドとなってしまった真田山方面。
と、ここでふと思い出したことが。
昨日訪れた玉造稲荷神社では、「玉造」の地名は「勾玉」に由来するものであることを初めて認識。
「長堀通」「空堀町」「真田丸出城」「大阪冬の陣」「真田幸村」とくれば、てっきり「火縄銃の鉄砲玉を製造していたことに因むもの」などと、修学旅行の生徒でも間違えそうもない全くとんでもない誤解をしていたことに気がついて..(大汗)
事前の準備が全くなかったとはいえ、末代までの恥、正に汗顔の至りに御座候。
凸真田丸出城(大阪市中央区)午前9時から午前10時
玉造駅から徒歩で反時計回りに長堀通を西へ進み、空堀町交差点を南下。
ここであらためて周囲の地形を見まわすと、思いのほか坂が目立つ起伏の多い地形。
然も完全に市街地のど真ん中。
これでは他所者の素人に真田丸出城の位置などをあれこれと推定できるはずもなく。
推定地は一般には、円珠庵の北方もしくは北東の高台などの情報が。
何れにしてもいったん下った坂を再び上り南西の円珠庵へ。
思ったよりも小さな堂宇であることにやや困惑していると、ちょうど散歩に訪れていたご年配のご婦人から以前はもっと大きな境内地であった旨のお話を伺うことに。
このあと明星学園から真田山小学校、宰相山公園、三光神社へと向い再び真田幸村の銅像前に。
しかし、朝の日差しは銅像にまだら模様の陰影を投影。
このため銅像の画像そのものは日没時の方がよっぽどマシという結果に。
かくして右足のつぶれたマメが余計に疼き始めるのでありました。
市街地化が進み現状地形のみから判断するのは最早困難なほど見通しが利かず。
それでも当時は笹山と呼ばれた出城の位置については、概ね明星学園、真田山小学校、宰相山公園・三光神社付近一帯であることはほぼ間違いが無さそうに思えるのでありました。
比定地の目安に引用される「円珠庵」
-2007/11/20 撮影 以下同様- |
六大院(南側堀跡説も)
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宰相山墓地の盛土
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宰相山公園の「真田の抜穴」
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凸岡山砦(御勝山)(大阪市生野区)午前10時30分から午前10時50分
大阪夏の陣で徳川秀忠が布陣したとされる前方後円墳とのこと。
古墳としての遺構が残存する円墳部分は樹木が叢生するとともにフェンスに囲まれた状態。
このため、近代に使用された農学校跡地の石碑が墳丘の中腹に設置されていることを確認したのみ。
石碑の後側がちょうど家庭ごみステーションのため資源ごみとともに記念撮影などを。
勝山通の歩道橋から観察するのが宜しいようで、無論地表の観察など出来る術もなく。
現在は公園となっている方墳部分との間には「勝山通」が東西方向に走り遺構を分断。
古代史の視点から見れば二重の遺跡破壊の跡ともいえなくもないような。
また大阪はホームレスの方が多いとは聞き及んでいたものの、こちらでも男女各1名の関係者が新聞紙、アルミ缶などを自主回収されておりました。
すぐ西側には生野区役所が所在。
トイレを借りるついでに無くて元々と思い玄関を入ると、向かって左側のコーナーに御勝山古墳の発掘関係資料が常設。
歴史関係の冊子等も展示されていることから、総合受付で関係資料頒布の有無を尋ねることに。
ここで無償のA4版古墳の解説資料の入手に成功。
しかし、御勝山に関する地名の由来が記されているのみで、残念ながら関係個所は僅かに50文字でございました。
凸大塚城(茶臼山)(大阪市天王寺区)午前11時20分から午前11時50分
予定通り生野区区役所前からタクシーで茶臼山のある天王寺方面へ移動。
しかしタクシーが天王寺公園への道が分からず、大阪3日目の某が道案内をする破目に。
比較的著名な場所なので大阪市内が地理不案内とも思えず不思議な体験を。
天王寺公園は西側が動物園、東側が美術館と公園に。
勿論徳川家康の本陣が置かれたとされる茶臼山の所在する東側の公園へ。
茶臼山古墳への園内の道沿いの芝生に気持ちよさそうに日光浴の最中のネコさん発見。
大阪城でも人懐こい子ネコと戯れてきたのですが、こちらのネコさんは筋金入りの人間好きらしく。
しばらくナデナデをさせてもらった後、道を急ごうとすると後ろからからノコノコとついてくるのであります。
よほど暇だったか、気に入られたのかは不明ですが、これほど懐いてくれたのは2年近く前の秩父の田村氏館以来かと。
しばし別れを惜しみつつ和気清麻呂の伝承を残す大きな川底池の橋を渡り茶臼山へ。
前方後円墳らしき古墳である以外には格別の地形的な特徴はなく。
円墳部分の広さは直径にして約25mほどの規模。
比高差は一番少ない北側で12mほどかと。
樹木が元気に繁殖しているため大坂城方面の現在の見通しは限りなくゼロ。
帰り際の美術館前からは、往路には全く気付かなかった大阪名物の通天閣が間近に見えたのでありました。
凸天王寺砦(大阪市天王寺区)午前12時20分から12時30分
四天王寺一角は有名な観光スポット。
しかし当方はその北西に所在する天王寺砦跡と推定されている月江寺が目標。
大阪の寺院は一般に派手なつくりが多いなかで、天王寺区の区民センター北側に隠れるようにして所在。
その700坪ほどのこじんまりとした境内は落ち着いた佇まいを見せておりました。
西側は台地の辺縁部にあたるため緩やかな坂を形成していること以外には砦跡の名残は見ることができませんでした。
不精ひげをはやし、マメがつぶれた右足、膝が棒のようになった両足にてヨタヨタと大阪の町を歩く姿はデジカメを所持していないと誤解されかねない風体。
その後JR大阪駅で車両故障が発生するトラブルが起きたものの、新幹線の発車時間の30分前には無事到着。
かくして、3日間で当初の予定通り合計10か所の訪城に成功。
これだけ歩いて痛みが起きないということは、膝の具合については夏頃に比べると確実に回復している模様。
3か月ほど杖を手放せなかったことを思えば、これも今回の大きな成果のひとつであることは間違いなく。