本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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何度考えても分からない「古御嶽城」の北西側の腰郭。
一段目は「西の郭」から3mほど下段に。
二段目はそこからさらに5mほど下段に普請されています。
特に二段目の腰郭は、稜線部分の郭の規模と比べても半分以上の規模を有しているように見えます。
下記の画像は一段目の腰郭から二段目の腰郭を撮影したものです。


北西部の腰郭
「古御嶽城」の北西部の腰郭
2007/03/26 撮影


斜面の勾配などから推定しても腰郭を普請するような積極的意義がつかめません。
そうなると考えられることとして、この先に「根古屋城」方面へのルートが存在していたのではないかなどと自分勝手に想像してしまうのでありました。

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見事な腰郭
つまり・・・
二段目の腰郭下が急勾配で、普請する意味が無いということでしょうか・・・
それとも方角的に普請する意味が無いということでしょうか・・・

方角的な問題だとすると、政局の変化なんぞで郭が不要になったなんて事はありませんよね。
左馬助 URL 2007/03/28(Wed)21:08:35 編集
Re:見事な腰郭
コメントありがとうございます。

腰郭の辺りまでは一見すると明確な尾根筋ですが、その先の方は急勾配の斜面となっております。
このためこの方面の谷筋から取り付いて比高差220mを這い上がってくるのは半ば至難の業かと存じます。
この小屋がけでもできそうな広さを有する腰郭の存在意義としては、仮に「古御嶽城」を「根古屋城」の詰の城と考えて、三角山北東の中腹を経由した「根古屋城」方面からの巻き道のようなものの存在とその監視などを想定したいところであります。
然し当方の事情に関係なく些か見当違いの北西方向を防御しておりましたです。
【2007/03/29 04:37】
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