本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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訪城を予定していたものの強風のため断念。
そこでHPの更新や文献の読み漁りに没頭。
そうした過程で、飯能坂石町分に所在する「りゅうがい山」の謎がおおむね判明しました。
ただし、いずれにしても「埼玉の中世城館跡」の調査対象からは漏れていることは確かなようです。
りゅうがい山
標高354m
2007/01/27 撮影
「新編武蔵風土記稿」の南村の記述によれぱ、
「りうがい山 村の南にあり 土人岡部六弥太忠澄が城跡なりと云 ...登ること十町ばかり 頂上平坦五六十坪 松杉及び雑木生茂れり 堀石垣等の形僅存せり」との記述があります。
この記述については原市場に所在する明確な連郭式の遺構が残る「リウガイ城」を指すものではなく、あくまでも「南村の飛び地である南村元組」に所在する「りゅうがい山」を指していることが判明しました。
すなわち現在の「坂石町分」に所在する「りゅうがい山」を指しているものであり、「岡部屋敷」との関係がやや曖昧なものの「物見山」「愛宕社」「中屋敷」の存在についても概ね合致します。
あくまでも「新編武蔵風土記稿」との合致などに過ぎませんが、中世城館跡としての可能性が多少なりとも明らかになったものと思われます。
(追記) 但し「村の南にあり」という部分については、実際には村の東側に所在していること実情から些か疑問の余地も残ります。
(参考「飯能市史資料編XI地名・姓氏」より)
そこでHPの更新や文献の読み漁りに没頭。
そうした過程で、飯能坂石町分に所在する「りゅうがい山」の謎がおおむね判明しました。
ただし、いずれにしても「埼玉の中世城館跡」の調査対象からは漏れていることは確かなようです。
りゅうがい山
標高354m
2007/01/27 撮影
「新編武蔵風土記稿」の南村の記述によれぱ、
「りうがい山 村の南にあり 土人岡部六弥太忠澄が城跡なりと云 ...登ること十町ばかり 頂上平坦五六十坪 松杉及び雑木生茂れり 堀石垣等の形僅存せり」との記述があります。
この記述については原市場に所在する明確な連郭式の遺構が残る「リウガイ城」を指すものではなく、あくまでも「南村の飛び地である南村元組」に所在する「りゅうがい山」を指していることが判明しました。
すなわち現在の「坂石町分」に所在する「りゅうがい山」を指しているものであり、「岡部屋敷」との関係がやや曖昧なものの「物見山」「愛宕社」「中屋敷」の存在についても概ね合致します。
あくまでも「新編武蔵風土記稿」との合致などに過ぎませんが、中世城館跡としての可能性が多少なりとも明らかになったものと思われます。
(追記) 但し「村の南にあり」という部分については、実際には村の東側に所在していること実情から些か疑問の余地も残ります。
(参考「飯能市史資料編XI地名・姓氏」より)
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