本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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■山上の多重塔/群馬県桐生市山上
国重要文化財指定(建造物/石造文化財)
1943年6月9日 指定
2021年11月11日 見学
13時00分から13時20分
粕川月田近戸神社から東へ直線にして僅かに約400mの距離である。
なお行政区分は前橋市(旧粕川村)から桐生市(旧新里村)へと変わるが、善城方面へのルート上に位置していることもあり立ち寄ることとした。
しかし行く手には赤城山中腹を水源とする兎川とその支流となる小河川が南流している。
加えて最短ルート自体も大きく曲折して約700mほどの距離となり、また累計比高差も20mほどとなることから足取りは次第に重くなっていったのである。
それでもほぼ1週間毎に体を動かすというルーチンに慣れ始めていたらしく、行動不能となるような疲労感を抱くようなことは無かったと記憶している。
尤も北側の市道を東方向へ向けてトボトボと歩いていたこともあり、多重塔らしき景観を目にした
時にはホッとしたことも事実である。
桐生市のホームページによれば、上毛鉄道善駅(無人駅)からは北北西に約4km、徒歩40分程度とされている。(ただし新里町デマンドタクシーを利用できると記されている)
しかし駅からは緩やかな登り坂となることから、歩きなれていないという場合には辛いものがあるのかも知れない。
また同所には専用の駐車スペースは確認できなかったが、交通量も余り多くは無くごく短い時間であれば南側の沿道の端などに駐車することは可能かもしれない。
なお専用のトイレも完備しており見学者には誠に有難いものがある。
■赤城山を遠望できるロケーション
■詳細な説明の記された現地解説版
延暦20年(西暦801年)建立したとの文字が刻まれた「上野三碑」と並ぶ著名な供養塔である。
■ガラス越しの撮影のためこれが限界・・・
なお頂部に相当する「相輪部分」に何らかの不具合が生じているようにも見受けられたのだが、近年の事情によるものなのであろうか。
■近傍に所在していた馬頭観音像
「馬頭」の文字が確認され、かつ文字のみの石造物であることから一般的には近世中期以降の比較的新しい造立であることが推定される。(※逆光により「馬頭」の文字が見辛いため相当に画像加工してあります)
無論文化財の指定などもなされる可能性のないごくありふれた石造物かもしれないのだが、その立ち姿は折からの秋の夕日を浴びて神々しささえ感じさせてくれるのであった。
この日は早朝始発からの移動乗換に始まり、途中乗換トラブルも加わり疲労の色は次第に色濃くなってきた。
多重塔到着の時点で時刻もすでに正午を過ぎてはいたが、予定も押し気味であったことから昼食は近戸神社境内での一口羊羹一個と水分補給のみという塩梅であった。
この時はその2日後の夕刻に訪れた極度の体調不良を想像するには至らず仕舞いであった。
◎参考資料
「桐生市ホームページ」
「石仏巡り入門」(大法輪閣)
※諸般の事情により、この稿は2021年11月28日に作成しております。
国重要文化財指定(建造物/石造文化財)
1943年6月9日 指定
2021年11月11日 見学
13時00分から13時20分
粕川月田近戸神社から東へ直線にして僅かに約400mの距離である。
なお行政区分は前橋市(旧粕川村)から桐生市(旧新里村)へと変わるが、善城方面へのルート上に位置していることもあり立ち寄ることとした。
しかし行く手には赤城山中腹を水源とする兎川とその支流となる小河川が南流している。
加えて最短ルート自体も大きく曲折して約700mほどの距離となり、また累計比高差も20mほどとなることから足取りは次第に重くなっていったのである。
それでもほぼ1週間毎に体を動かすというルーチンに慣れ始めていたらしく、行動不能となるような疲労感を抱くようなことは無かったと記憶している。
尤も北側の市道を東方向へ向けてトボトボと歩いていたこともあり、多重塔らしき景観を目にした
時にはホッとしたことも事実である。
桐生市のホームページによれば、上毛鉄道善駅(無人駅)からは北北西に約4km、徒歩40分程度とされている。(ただし新里町デマンドタクシーを利用できると記されている)
しかし駅からは緩やかな登り坂となることから、歩きなれていないという場合には辛いものがあるのかも知れない。
また同所には専用の駐車スペースは確認できなかったが、交通量も余り多くは無くごく短い時間であれば南側の沿道の端などに駐車することは可能かもしれない。
なお専用のトイレも完備しており見学者には誠に有難いものがある。
■赤城山を遠望できるロケーション
■詳細な説明の記された現地解説版
延暦20年(西暦801年)建立したとの文字が刻まれた「上野三碑」と並ぶ著名な供養塔である。
■ガラス越しの撮影のためこれが限界・・・
なお頂部に相当する「相輪部分」に何らかの不具合が生じているようにも見受けられたのだが、近年の事情によるものなのであろうか。
■近傍に所在していた馬頭観音像
「馬頭」の文字が確認され、かつ文字のみの石造物であることから一般的には近世中期以降の比較的新しい造立であることが推定される。(※逆光により「馬頭」の文字が見辛いため相当に画像加工してあります)
無論文化財の指定などもなされる可能性のないごくありふれた石造物かもしれないのだが、その立ち姿は折からの秋の夕日を浴びて神々しささえ感じさせてくれるのであった。
この日は早朝始発からの移動乗換に始まり、途中乗換トラブルも加わり疲労の色は次第に色濃くなってきた。
多重塔到着の時点で時刻もすでに正午を過ぎてはいたが、予定も押し気味であったことから昼食は近戸神社境内での一口羊羹一個と水分補給のみという塩梅であった。
この時はその2日後の夕刻に訪れた極度の体調不良を想像するには至らず仕舞いであった。
◎参考資料
「桐生市ホームページ」
「石仏巡り入門」(大法輪閣)
「石仏と石塔」(山川出版社)
「仏像の世界」(山川出版社)
「石仏・石の神を旅する」(JTBパブリッシング)
「日本石仏辞典第2販」(雄山閣)
「阿弥陀・薬師・観音・不動」(大法輪閣)
「民間信仰辞典」(東京堂出版)
「民間信仰辞典」(東京堂出版)
※諸般の事情により、この稿は2021年11月28日に作成しております。
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