本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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先月は4回続けて高速道路を利用したので些か走り疲れたのかも知れません。
さてこの日は2019年の春先に続くのですが、そうはいっても1年半ぶりとなる群馬県の上武道路沿線地域の中世城館跡を巡ってみることとしました。
いつも通り国道254号線から熊谷市を経由して国道17号線へ入り上武道路を西北へ。
ここで相変わらずながら利根川の手前辺りで朝方の交通渋滞に遭遇。
暫くこのルートについては間が空いておりましたので、漸くこの時点になってから深谷バイパス、世良田、旧境町経由という渋滞回避ルートがあったことを思い出すという始末でありました。
そんなこんなで現地到着は午前7時15分頃となりましたが、片道の所要時間は概ねこんなところである様にも思われました。


■今井神社古墳/群馬県前橋市今井町
午前7時15分から7時50分

本来は目的地近くのコンビニに車を止めてコンビニおにぎりで朝食という予定なのでしたが、近づくにつれてどうも何か風景が違うような気がしました。
なんとその国道50号全沿いのコンビニそのものが廃業しており・・・
つまり車を止める場所もなければ、朝飯抜きという事態に・・・


前方後円墳で画像の奥が今井神社の社殿が所在している後円部で、画像手前側が前方部となっています。


後円部北側の神社石段前に設置されている概要を記した説明版

尤も駐車場所だけは事前にいくつかの候補を絞り込んでいたので、速やかに巡回の順序を変更して今井神社古墳の方から廻ることとしました。
駐車場所は神社参道前の路駐も暫時ならば可能ですが、境内の西側から車でも入ることのできる入口がありましたのでこちらを利用させていただきました。
なお、次に回る予定の2か所については住宅地や集落内であるという事情を考慮して、こちらの場所を起点にさせていただき徒歩での移動をすることといたしました。


今井道上遺跡/群馬県前橋市今井町
午前7時50分から8時30分

「マッピングぐんま」の文化財所在情報によりますと、国道50号線と上武道路(国道17号バイパス)とが立体交差している今井町交差点の南西側になります。
発掘調査自体も上武道路建設時などに実施され、その際に中世城館跡の存在が確認された模様です。
この詳細については、「今井道上遺跡」「前橋遺跡地図」など関係する発掘調査報告書等を調べる必要があるのですが、現時点では当該報告書を目にしてはおりません。
従いまして今回のほかの遺跡につきましても、後日機会があれば前橋市立図書館などにおいて閲覧を行う積もりでおります。

さてその現況といえば、ほぼ宅地化された住宅地内であることから、全くといってよいほど城館跡としての形跡を見出すことはできませんでした。
それでも住宅の一画に「東街道」と記された荒砥史談会などの皆様が設置された史跡標柱が所在しておりました。



あくまでも近世以降の「街道」であるのかも知れませんが、何かしらの歴史的経緯の存在を示す掲示物が設置され明示されているというのは実にありがたいことであると感じ入るのでありました。


菊の花に鎮座する昆虫
ツユムシにも似ているのですが、やや触角が短いように思われました。


今井城/群馬県前橋市今井町
午前8時55分から9時30分

前項の個所から徒歩で西へと進み国道50号線を横断して北上すること約20分ほど、道程にして約1キロメートルを移動。
これが10年くらい前であるならば早歩きで10分ほどで到着していたのですが、歩幅も狭くなり今や高齢者の朝の散歩に近いような歩行速度と相成りました。
城館跡は遊具の置かれた小公園のような個所がその南端部に相当し、その一角には有難いことに地元郷土史会の方々の設置された城跡の存在を示す標柱が設置されておりました。
なお城域の一帯には民家が散在していることからデジカメの撮影も、より強くプライバシーの尊重に心掛ける必要性を感じ取りました。


有難い小公園の城跡標柱、背景の山並みは赤城山方面です


城跡東を赤城山方面から南流する荒砥川/城跡の南東角付近からの眺め

なおかつては寄居山と呼称されていた土塁の痕跡は消失しております。
いちおう城館跡と推定されている荒砥川の西岸を北上し、北端部となる辺りで反時計回りに城域部分をぐるっと一周。
すると主郭跡と思える北西部に弧状にカーブする深さ約1メートル強、幅数メートルほどを測る堀跡が現存していることを確認。


主郭部西側の堀跡と推定されている辺り

尤もその郭内部分は現在もさらに宅地化が進行中であるようですので、果たして将来的にいつ頃までこうした景観が維持されているのかどうかについては微妙な状況であるようにも思われました。
なお今井神社への帰途においては、往路とは異なり荒砥川東岸の地下道を経由した方が安全でより近道であるというとが判明しました。


下長磯城/群馬県前橋市下長磯町
午前10時5分から11時10分

集落内に所在する城館跡を訪れる際には車の駐車場所が問題となります。
近くにコンビニなどがあれば買い物をして暫し駐車場をお借りするということも考えられるのですが、こちらの場合には特にそうした施設も無さそうなことから、地元神社や集会所に付随した場所をお借りすることも屡々です。
ということで、こちらについても女屋町に所在する桃川神社の境内/女屋公民館駐車場を暫時お借りがてら謹んで参詣。
そこから徒歩で南に所在する城館跡までは約300メートルほどなので、自分のような年寄りの足でも5分少々かと思われます。


「古的場」という古地名が残されているとされる辺りですが、現状は一面の耕作地である模様でした。

こちらも近年の耕地整理などにより、かつての景観は大きく変貌しているように思われましたので、僅かに古地名として残る「古的場」「宿要害」の辺りを中心に散策させていただき、序に近くの下磯長神社を参拝して探訪終了。
その帰途に桃ノ木川から眺めた榛名山、武尊山方面の景観を観望しました。


桃ノ木川の堤防上から眺めた榛名山方面の山並みです


こちらはさらに遠方でより標高の高い武尊山、仙ノ倉方面の山並みで既に冠雪している様子が窺えました。


笂井八日市遺跡/群馬県前橋市笂井町
11時30分から12時00分

「うつぼようかいち/いせき」と読むようです。
「マッピングぐんま」の文化財包蔵地情報に基づき訪れてみました。
こちらはほぼ完全に住宅地化が進行し、なお且つ国道50号線により南北に分断されているという環境なのでありました。
このためどの部分について撮影すべきかについて大いに悩み続けるのでありました。


困ったときの赤城山撮影のひとコマなのであります。


耕地整備などの関係で水路の流れはある程度変更されている可能性も想定されますが、いちおうこの水路のカーブしている辺りが城館跡の東角部分に相当しているものと思われました。
このあとは近年新しくオープンしたベイシアにてトイレを拝借し買い物がてら少々休憩を。


茂木山ノ前遺跡/群馬県前橋市茂木町
12時40分から13時10分

「もとぎやまのまえ/いせき」と読むようです。
以上5か所の赤城山麓方面の探訪から、途中上武道路の下を潜って約4キロメートルほど北へと移動しました。
当然のことながらこの辺りまで移動してくると次第に赤城山の山容が目に見えて迫ってくるという印象があります。
とはいえ現地はというと概ね耕地整理された地域で、城館跡として推定されている包蔵地の大半は公園で、ほかに民家が数件ほど散在しているという状況でした。
また、当地は一応はこの地域に多い赤城山方面から流れ下る利根川支流の河川に挟まれた環境ではあるものの、ほかの事例のようないわゆる丘陵地形ではありません。
無論ある程度の標高を有してはいますが、寧ろ東西の丘陵地形に挟まれているような印象がありました。


遺跡包蔵地内に生育しているカラスウリの実

このような現況ですので、事前の想定通り当然地表に現れた城館遺構は皆無となっておりました。
なお、うしたなかで南東角に所在する墓地内には最近の墓石とは別に、多くの移設された墓石が所在しておりました。
それほど古いものではありませんが、よくよく拝見しますと明和年間など近世を中心としたものが多いように見受けられました。
近年の耕地整理時に合わせて移設されまとめられたものではないかと思われます。


共同墓地の一画に祀られている双体道祖神と推定される石造物と庚申塔

この後当初はそのまま今城、勝山城方面へと移動していくという予定でありましたが、総じて残存遺構が少ないという状態については重々承知していたものの、現下に於ける気力と体力の減衰状況と、復路に於ける交通渋滞などの要素を勘案して早々に撤退を決断いたしました。
この点については、早朝ののコンビニ閉店という思いがけない事態があったことと合わせて、これに伴い結果的に朝昼食抜きという状況に陥ったことが少なからず影響しているものと自己分析しております。


今回も徒歩での移動には視界に入る山並みを手当たり次第に撮影していることが多く、赤城山を始めに榛名山方面、浅間山、武尊山、荒船山などを片っ端からカメラに収めておりました。
というのも明らかに観光地ではない住宅街や集落内を通行するという関係上もあり、またミニズームとはいえ18-300mmの大型のデジイチを携行するという異形であることも考慮し、悪戯に不審者と誤認されないように、時折視界の開けたポイントに遭遇すると徐にその風景を撮影するように心掛けているのであります。
今回は自宅から片道2時間少々、移動距離にして片道約80キロメートルと少し。
帰宅した時刻は午後3時20分でした。
これくらいの距離ですと、やはり多少は疲労感も少ないようです

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