本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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史進さんのお誘いで昨年に続く新潟県の南魚沼市の城館めぐりです。
関越道では片道にして約200kmではありますが、お誘いが無ければなかなか足が向かない地域でもあります。
午前6時50分頃に自宅発で三芳PA/ETCより石打塩沢へ。
途中赤城高原SAにて小休止し午前10時前後に南魚沼市に到着。
当所は手前に所在している仙石城から廻る予定でしたが、自分が県道28号線を曲がり損ねたことにより、そのまま国道291号線(通称清水街道/清水峠越)へと向かうことになりました(^^ゞ
凸直路城(別名を清水城、城の腰とも/新潟県南魚沼市清水)
午前10時10分から12時50分
御館の乱と際に上杉景勝が守りを固めるように指示したとされている要害のようです。メジャーな越山ルートである三国峠側に所在している荒戸城方面と比べると、あくまでも裏道のようなルートであるような印象があります。
清水集落からの遠景
画像の右側の高圧線鉄塔が所在している個所が城跡で、麓の清水集落は現在でも20戸前後の比較的小さな集落でした。
案内図
巻機神社近くの清水バス停に設置されている自然歩道コースの案内図によると、これから登ろうとしている直路城もそのルートに含まれているようにも見えるのですが、昨年の雷土城を超える感のあるなかなかの難路なのでありました。
清水集落の巻機神社
林道の入口
国道291号線清水街道から東側に分岐している林道の入口で、ここから約400mほど道なりに進んでいくと下記の送電設備保守のための道に出ますが、早くもこの分岐からの登り道の時点で忽ち息切れが生じた管理人なのでありました (^^ゞ
この位置から入る
画像左下のJR東日本の白い標識の個所から九十九折の山道をただひたすら登って行きます。
九十九折の山道
先行する同行者とけもの道に近い送電設備保守ルートですが、このあとは画像撮影が途切れていることが裏付けるように必死に這い上がるというような感じになっております(^^ゞ
「城の腰」付近
比高差約130mを息を切らしながら登ると城跡の北西端に到着しますが、途中枯葉などのためにかなり滑りやすい個所が幾つもあることから下りでの帰り道がとても気がかりになりました(^^ゞ
なお、林道の分岐から主郭部までの比高差は約200mほどとなります。
堀切
たぶん北西端から4番目に所在している堀切で5か所の堀切の中で最も規模が大きいように思われました。横から撮影できれば分かりやすいのですが両側がかなりの急斜面なので尾根筋からの画像となっています。
尾根筋
おおむね尾根筋の窪みのある個所が「堀切」となっておりました。
北方の六日町方面/たぶん
標高800m以上なので紅葉の時期は過ぎつつありましたが、越後路の晩秋の風景が鮮やかに脳裏に刻みこまれました。
下山は予想通り足元が不安定で2度ほど滑りましたが、比較的樹木が多いことから滑落するようなことは有りませんでした。
しかし降雪期ともなれば、ストック+アイゼン装備でも二の足を踏むことは必定でありましょう。
平均斜度が35度前後の斜面の九十九折なので、それほどの急斜面では無いのですが、足元が降雨後ということもあり軟弱で枯葉も滑りやすく難渋します。
道幅も狭いところでは30cmほどの個所もあり、自分の些かすり減り気味のトレッキングシューズでは殆どグリップが機能しませんでした。
このあと下山後に暫時早川丁字路のコンビニにて昼食を摂取。
凸仙石城(新潟県南魚沼市仙石)
13時30分から15時00分
「六日町史資料編1」の記述によりますと、戦国期の在地支配のための拠点として築かれたと推定され、末期の改修は見られないとの知見が記されています。
所謂越後上田衆に属する人々により利用された時期があるのでしょうか。
仙石城/北東方向からの遠景
水田面からの比高差は約160mほどに過ぎませんが、城址の所在地は丁度この小山のピーク付近に所在していることから結構眺望に優れた立地条件となっているように思われます。
仙石城の南東腰郭群
南東の連続する腰郭付近は一部耕作や神社参道の整備などの影響もあるものの、保存状態も良好であるような印象を受けました。
仙石城の郭群
仙石城主郭付近
主郭部にはこの小祠が鎮座しており、南西方向の林道終点からはこの小祠へと向かう参道の整備がされておりました。
樺沢城方面
角野川左岸に所在する樺沢城との距離は直線にして約3kmですが、お互いに指呼の間にありその様子がよく見えます。なお樺沢城の標高が約300mであるのに対してこちらの仙石城は約340mとなっています。
坂戸城方面
城跡の北東尾根筋からは坂戸城方面の眺望が抜群でした。
この日のは偶々好天に恵まれましたが、前日はやや強い雨で翌日からは寒波襲来による強風と降雪積雪となりました。
藪や降雪などの影響を勘案しますと、南魚沼での城館めぐりは11月と4月の2か月程となるのでしょうか。
諸事情によりおよそ半年ぶりとなる城館めぐりでもあり、常に後塵を拝し遅れること鈍牛の如き有様でありました。
帰路は国道17号線/三国街道経由で沼田へと出て渋川からは何時ものように上武道路経由で帰宅しました。
このような年寄りをお誘いいただいた史進さんに衷心より深謝いたします <(_ _)>
関越道では片道にして約200kmではありますが、お誘いが無ければなかなか足が向かない地域でもあります。
午前6時50分頃に自宅発で三芳PA/ETCより石打塩沢へ。
途中赤城高原SAにて小休止し午前10時前後に南魚沼市に到着。
当所は手前に所在している仙石城から廻る予定でしたが、自分が県道28号線を曲がり損ねたことにより、そのまま国道291号線(通称清水街道/清水峠越)へと向かうことになりました(^^ゞ
凸直路城(別名を清水城、城の腰とも/新潟県南魚沼市清水)
午前10時10分から12時50分
御館の乱と際に上杉景勝が守りを固めるように指示したとされている要害のようです。メジャーな越山ルートである三国峠側に所在している荒戸城方面と比べると、あくまでも裏道のようなルートであるような印象があります。
清水集落からの遠景
画像の右側の高圧線鉄塔が所在している個所が城跡で、麓の清水集落は現在でも20戸前後の比較的小さな集落でした。
案内図
巻機神社近くの清水バス停に設置されている自然歩道コースの案内図によると、これから登ろうとしている直路城もそのルートに含まれているようにも見えるのですが、昨年の雷土城を超える感のあるなかなかの難路なのでありました。
清水集落の巻機神社
林道の入口
国道291号線清水街道から東側に分岐している林道の入口で、ここから約400mほど道なりに進んでいくと下記の送電設備保守のための道に出ますが、早くもこの分岐からの登り道の時点で忽ち息切れが生じた管理人なのでありました (^^ゞ
この位置から入る
画像左下のJR東日本の白い標識の個所から九十九折の山道をただひたすら登って行きます。
九十九折の山道
先行する同行者とけもの道に近い送電設備保守ルートですが、このあとは画像撮影が途切れていることが裏付けるように必死に這い上がるというような感じになっております(^^ゞ
「城の腰」付近
比高差約130mを息を切らしながら登ると城跡の北西端に到着しますが、途中枯葉などのためにかなり滑りやすい個所が幾つもあることから下りでの帰り道がとても気がかりになりました(^^ゞ
なお、林道の分岐から主郭部までの比高差は約200mほどとなります。
堀切
たぶん北西端から4番目に所在している堀切で5か所の堀切の中で最も規模が大きいように思われました。横から撮影できれば分かりやすいのですが両側がかなりの急斜面なので尾根筋からの画像となっています。
尾根筋
おおむね尾根筋の窪みのある個所が「堀切」となっておりました。
北方の六日町方面/たぶん
標高800m以上なので紅葉の時期は過ぎつつありましたが、越後路の晩秋の風景が鮮やかに脳裏に刻みこまれました。
下山は予想通り足元が不安定で2度ほど滑りましたが、比較的樹木が多いことから滑落するようなことは有りませんでした。
しかし降雪期ともなれば、ストック+アイゼン装備でも二の足を踏むことは必定でありましょう。
平均斜度が35度前後の斜面の九十九折なので、それほどの急斜面では無いのですが、足元が降雨後ということもあり軟弱で枯葉も滑りやすく難渋します。
道幅も狭いところでは30cmほどの個所もあり、自分の些かすり減り気味のトレッキングシューズでは殆どグリップが機能しませんでした。
このあと下山後に暫時早川丁字路のコンビニにて昼食を摂取。
凸仙石城(新潟県南魚沼市仙石)
13時30分から15時00分
「六日町史資料編1」の記述によりますと、戦国期の在地支配のための拠点として築かれたと推定され、末期の改修は見られないとの知見が記されています。
所謂越後上田衆に属する人々により利用された時期があるのでしょうか。
仙石城/北東方向からの遠景
水田面からの比高差は約160mほどに過ぎませんが、城址の所在地は丁度この小山のピーク付近に所在していることから結構眺望に優れた立地条件となっているように思われます。
仙石城の南東腰郭群
南東の連続する腰郭付近は一部耕作や神社参道の整備などの影響もあるものの、保存状態も良好であるような印象を受けました。
仙石城の郭群
仙石城主郭付近
主郭部にはこの小祠が鎮座しており、南西方向の林道終点からはこの小祠へと向かう参道の整備がされておりました。
樺沢城方面
角野川左岸に所在する樺沢城との距離は直線にして約3kmですが、お互いに指呼の間にありその様子がよく見えます。なお樺沢城の標高が約300mであるのに対してこちらの仙石城は約340mとなっています。
坂戸城方面
城跡の北東尾根筋からは坂戸城方面の眺望が抜群でした。
この日のは偶々好天に恵まれましたが、前日はやや強い雨で翌日からは寒波襲来による強風と降雪積雪となりました。
藪や降雪などの影響を勘案しますと、南魚沼での城館めぐりは11月と4月の2か月程となるのでしょうか。
諸事情によりおよそ半年ぶりとなる城館めぐりでもあり、常に後塵を拝し遅れること鈍牛の如き有様でありました。
帰路は国道17号線/三国街道経由で沼田へと出て渋川からは何時ものように上武道路経由で帰宅しました。
このような年寄りをお誘いいただいた史進さんに衷心より深謝いたします <(_ _)>
Comment
Re:無題
こんばんは。
お陰様で筋肉痛は日曜日くらいには治りました~
このたびは文字通りの足手まといとなり申し訳ありませんでした。
あのあとトレッキングシューズを買換えて、足回りの鍛錬を再開いたしました (^^ゞ
お陰様で筋肉痛は日曜日くらいには治りました~
このたびは文字通りの足手まといとなり申し訳ありませんでした。
あのあとトレッキングシューズを買換えて、足回りの鍛錬を再開いたしました (^^ゞ