本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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更新に伴う整理作業のためにいろいろと調べていったところ、次々と懸案事項が累積しました。
◎「大舘八幡宮」について
南方約400mに所在する大舘八幡宮の縁起(※「新田一族の盛衰」(2003/久保田順一著/あかぎ出版)では大舘氏初代とされる家氏が勧請したとしているが、仮にこれが「現地説明板」に記されているように近世の建立(勧請あるいは再興か※この点について「角川日本地名大辞典」では「旗本(黒石藩立藩以前の津軽藩分家)津軽信敏の再建」としている)だとすれば大舘氏との関連性はどうなるのか)とその存在意義について
◎「近世津軽藩代官陣屋時代の実相」―陣屋支配の領域と代官陣屋の所在地
◎「その後氏明以降の大舘氏一族の事跡の記録―氏明の子であるとされている義冬(基本資料「大舘持房行状」)と氏清(基本資料「軍記関岡家始末」)ならびにその子孫の事跡とその記述内容に関する信憑性
等々次々と気にかかる懸案事項がいろいろと累積し始めてしまい収集がつかなくなっています。
◎「大舘八幡宮」について
南方約400mに所在する大舘八幡宮の縁起(※「新田一族の盛衰」(2003/久保田順一著/あかぎ出版)では大舘氏初代とされる家氏が勧請したとしているが、仮にこれが「現地説明板」に記されているように近世の建立(勧請あるいは再興か※この点について「角川日本地名大辞典」では「旗本(黒石藩立藩以前の津軽藩分家)津軽信敏の再建」としている)だとすれば大舘氏との関連性はどうなるのか)とその存在意義について
◎「近世津軽藩代官陣屋時代の実相」―陣屋支配の領域と代官陣屋の所在地
◎「その後氏明以降の大舘氏一族の事跡の記録―氏明の子であるとされている義冬(基本資料「大舘持房行状」)と氏清(基本資料「軍記関岡家始末」)ならびにその子孫の事跡とその記述内容に関する信憑性
等々次々と気にかかる懸案事項がいろいろと累積し始めてしまい収集がつかなくなっています。
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