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引き続き4度目となる太田市内探訪
今回もいつも通り午前5時過ぎに自宅発
現地到着(世良田の歴史資料館)は午前6時45分
やはり東松山―熊谷―深谷―世良田のルートが確実で早い
工事中の上武大橋が完成すればさらに早くなるかは分からない
むしろ通行量が増える可能性もあるのかも知れない
というのも現在の上武大橋は橋梁の幅が驚くほど狭く、大型車両はすれ違い時の徐行運転を余儀なくされている
このため勢い上武道路方面に大型車両が集中して恒常的な渋滞を引き起こしているらしい
凸岩松城、西田島遺跡(群馬県太田市)
7時00分から7時35分
北東のショッピングセンターに車をとめ徒歩にて向かい、校地の周辺を一周し石田川方面の低地も観察してみた
近世初期に岩松氏が陣屋を置く以前から城館(古城)として存在していたともいわれている
南を石田川、東を高寺川により囲まれた比高約3mほどの微高地を形成しているようだ
東側の高寺川
日本城郭大系が編纂された当時は「県立尾島女子高等学校」の校地であった
現在は「県立太田フレックス高校」(定時制、通信制)と名称、機能が変遷
城跡とされている個所は昭和50年台の半ば頃から校舎などの建増しなどにより次第に縮小・消失を重ねた
戦後間もない時期に当時の在日米軍が撮影した航空写真をもとに2010年撮影のものと対比してみたところでは城跡南側の四分の一ほどが遺されているようにも見える。
ただし詳細は平地林に隠れていることから判然としなかった
東側正門付近より
凸長福寺遺跡(群馬県太田市)
7時40分から7時45分
「とりせん」「しまむら」「マツモトキヨシ」「ダイソー」などが出店している郊外型ショッピングセンターである
この場所は先月にも訪れていることから2度めではある
開発に当たり発掘調査が行われた結果、城館跡や寺院跡等に関する知見を得られたようなのだが、いまのところ報告書を目にしていないので詳細は不明だが、岩松城とは高寺川を挟み対岸に位置していることから推定すると別個の遺構であるのだろうか
むろん小河川の流路変遷、圃場整備などの仔細を検討せねば不明であることには変わりがないのだが
また仮にかつての岩松城が外郭部分を伴う大規模な縄張であったと想定すれば、岩松城との距離は直線で200m余りに過ぎず、寺院を含めた外郭の一部であった可能性も否定できないのかも知れない
このようにして調べねばならない事項ばかりが滞留していくのである
気力と視力と知力の欠如が恨めしい
近年開設された商業地
■岩松八幡宮(群馬県太田市)
8時00分から8時15分
新田義重が勧請したとも伝わる神社
戦国期の岩松氏との関係も深い
9月末に約600mほど北側に所在している青蓮寺、義国神社などを訪れた際に、うっかり失念して行きそびれたことから訪れた
北側、西側からアプローチするとやや所在地が分かりにくいが、南側または東側からはとても分かり易い
境内地周辺は方約100mほどの規模があるようにも見える
なお、社殿北側には下記画像のような盛土が施され、その結果辺とは約1mほどの比高差を生じていた
神社社殿造立の際に為されたものかそれ以前のものか、その普請がいつ頃のものなのかもいまのところ不明
約1mほどの比高差のある境内
南側に小公園が付随し車も3台くらいは駐車可能であった
南側表参道から
凸牛沢城(群馬県太田市)
8時30分から8時45分
南東角の牛沢神社付近に駐車し参拝
石田川とその支流である蛇川により西と南を囲まれた地形
城館跡と推定される中心部付近に東西約25m幅約4mほどの水濠が所在しているが、城館跡との関連は不明
また鬼門である北東に稲荷神社が所在しているが、比高4mほどの人工的な盛土でありよく目立つ
この地域には古墳も多く存在していることからそれらしくも見えるが、あるいは近世以降の塚であるのかは今のところ不明
凸富沢館(群馬県太田市)
8時50分から9時10分
かつては堀が存在していた由
南西部の細長い墓地の区画辺りと北東部の耕作地にそれらしさを感じる
現在は僅かに境内地が周囲よりも高いくらいで地形的な特徴は見いだせない
境内は周辺よりも少し高いが
凸高林陣屋、高林環濠遺構(群馬県太田市)
9時30分から9時50分
近世の代官陣屋でそれ以前には城館でもあったらしい
近くのコンビニで飴を買い徒歩にて拝見
屋敷地の東側には今重厚な屋敷門、長屋門(やや櫓門に近い)が所在し、南側の長勝寺側には土塁状の地形もあったのだが
土塁だろうか
凸高林城(群馬県太田市)
10時00分から10時40分
NECの工場敷地内だが現在は保守サポート拠点として継続しているらしい
98シリーズ、8800シリーズが懐かしい
関連企業との取引のあった80年代をふと思い出す
pcがマイコンと呼ばれた時代から40年近く付き合っている割にはスキルがない
昔日に思いをはせつつ敷地の周囲を一周した
むろん遺構などはあろうはずもなく、僅かに八瀬川と憩川に挟まれた特徴のある地形だけが昔日を物語っていた
凸矢島城(群馬県太田市)
11時00分から11時20分
国道354線と国道407号線が交差する北西部に所在し、赤城大神宮を挟み東西に城館跡が存在していた由
水路を挟んだ西側の方は概ね宅地化され一部畑が残り東には曲折した細道がある
東側の方は工場敷地の一部と化している
社殿に付された神社縁起によればこの境内も城館跡であるとのことだが果たして
凸東矢島城、宮西遺跡(群馬県太田市)
11時30分から11時50分
国道407号線東の長良神社境内の辺りらしいのだが、「マッピングぐんま」には城館跡としての扱いは無く、「宮西遺跡」(奈良、平安の集落遺構)に含まれた地域である
境内地のうち社殿の所在する北側は盛土されている
このため周辺の耕作地とは1m以上の比高差がある
東側には南北方向に水路が流れ境内の北東には古塚も所在している
凸新井館、御庵公園(群馬県太田市)
12時25分から12時30分
大型家電量販店から徒歩にて見学
新田義貞の愛妾とも伝わる勾当内侍の居所とも
御庵公園の入口を撮影した
名称とはそぐわないようにも
城代氏との関係は不明だが城代性の商店が所在する
凸今井屋敷、今井公園(群馬県太田市)
12時50分から13時00分
そのまま西に1.2kmほど歩き今井公園方面へ
4階建の県営団地が所在するところが城館跡という
いくぶん蛇行する蛇川の水面に反射する日の光に僅かに秋を感じていた
遅くも午後2時頃には新田図書館へ赴く予定なので本日はこれにて打ち止め
元々がローラー作戦なので手当たり次第ではある
それにしても今日は遺構が乏しかった
大部分が太田市内の市街地という事情もあるので当たり前ではある
加えて午前7時から朝食、昼食抜きで連続して動いていたこともあり、午後1時過ぎにはほぼエネルギー切れとなった
彼岸を過ぎてめっきり日没が早まってきた
午後5時半には暗くなってしまう様になった
それと共に日の出の方は逆に遅くなってきた
とくに東側に雲がかかる天候の場合には午前7時行動開始がそろそろ厳しくなってきたようだ
「遺跡」を含めると現在の太田市内には100か所を超える城館跡が所在しているので、先月から延べにして4日間も出かけているが未だに半分も回れてはいない
このあとはこのまま太田市内を継続するか、そろそろ他方面へと転じるか思案中