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この夏とうとう10回目となる都内23区の城館跡探訪
今回も前回に引き続き葛飾区方面の残り4か所
伝承地、推定地は数々あれども、前回の葛西城方面を除くとほぼ無名の存在が目白押し
しかも時候はといえば、吹き出る汗が止まることを知らぬ猛暑
加えて足元も気力も着実に減衰の一途
果たして何処まで辿り着けるのか皆目不明の彷徨のはじまり
凸会田氏館(東京都葛飾区南水元)
午前6時45分から7時30分
金町駅北口から京成バスで「神社入口」(富士神社入口)へ
徒歩でも差支えない僅か1.5kmほどの道程だか体力温存を優先
「角川日本地名大辞典」によれば、会田氏は信濃出身とされ始め関宿周辺に勢力を扶植し、永正年間に葛西に定住し後後北条氏に従属したともいわれている
富士神社(浅間神社)と富士塚
「東京都の中世城館」によれば、推定地はおよそ富士神社の南東、飯塚小学校の南西辺りを表示
一帯は中川東岸の低地の住宅地で起伏の目立たない平坦地
なお、神社社殿背後の「富士塚」は補修工事の真っ最中
富士神社、飯塚小学校、飯塚公園と廻り、中川水道橋付近から中川東岸堤防を経由し北上開始
中川水道橋
◎夕顔観音(東京都葛飾区西水元)
午前8時00分から8時20分
迅速図などによれば水元飯塚村北端と推定される約800m先の安福寺(西水元1丁目、別名を「夕顔観音」とも)へと移動し、旧来における飯塚村の南北に細長い集落の位置関係を確認
夕顔観音の石碑
なお「東京都遺跡地図情報」によれば途中に「水元飯塚遺跡」も所在
早朝の時間調整も兼ねて、西水元1丁目から水元、東水元を経て東金付近までを散策
移動距離にすれば僅かに3km少々のところ、これが思いのほか時間を要したのは下記の通り
◎水元公園(東京都葛飾区東水元)
午前9時00分から9時50分
遺憾ながら途中水元公園付近辺りでほぼ気力、体力ともに枯渇
暫くの間公園のベンチに坐し水分補給と休憩するも依然として発汗は止まらず
あくまでも南寄りの風は生暖かく涼風とは無縁で発汗中の全身に纏わりつく
しかも木陰となるベンチは付近には見当たらず(笑)
小合溜(古利根川)
しかし思いがけず「思案坂」の石碑に遭遇
14世紀新田義興に付従ったとされる細谷氏の故事に因むものとあった
確かに現在でも細谷姓のお宅が散見される地域ではある
◎香取神社(東京都葛飾区東水元)
午前10時15分から10時20分
元々は古利根川の流路に突き出した半島状の地形先端部に所在
香取神社
◎松浦の鐘(東京都葛飾区東水元)
午前10時35分から10時40分
思いのほかに足がすすまず己の体力の限界を思い知り愕然
近世に長崎奉行などを務めたとされる旗本松浦氏の鐘楼
残念ながら釣鐘自体は現在修理中、「天文と郷土の博物館」に保管中とのこと
◎水元さくら堤の由来の碑(東京都葛飾区東水元)
同上
1km以上離れたもう少し北西の方角に古碑があるらしい
なかなか見当たらずこの新しい石碑の画像にて代用
◎しばられ地蔵(東京都葛飾区東水元)
午前10時50分から11時00分
南蔵院
「大岡政談」にも登場する盗難除け、厄除けの名所のひとつ
この暑いのにお地蔵さんは荒縄でぐるぐる巻きに
因みにひと縄100円だそうな
「しばられ地蔵」
◎半田稲荷神社(東京都葛飾区東金町)
午前11時20分から11時25分
半田稲荷神社
◎金蓮院(東京都葛飾区東金町)
午前11時45分から11時55分
岩槻街道沿いの真言宗寺院
入口が分からず境内周辺をほぼ1周した
冷静に考えれば山門は一般に南向きが多いことを失念するくらい思考が混濁(苦笑)
金蓮院山門
ここで、さらに休憩を重ねた
しかし極度の疲労によりこの後の葛西神社での参詣は断念
ようやく金町駅北口へと辿りついた
かくて予定時刻から遅れること既に約2時間
◎一里塚(東京都葛飾区亀有4丁目)
12時40分から12時42分
金町駅より常磐線に乗車し西隣の亀有へ移動
途中港北橋通沿いに所在する一里塚の石碑と水戸黄門一行のオブジェに立寄る
一里塚石碑など
凸上千葉城(東京都葛飾区西亀有)
12時45分から14時00分
この城館跡もその所在地については明確ではない模様
「所領役帳」では遠山丹波守の所領とされている
お馴染みの「東京都の中世城館」では、西亀有2丁目に所在する西亀有小学校とその東側付近を推定
また、「東京都遺跡地図情報」によれば、西亀有1丁目の「中道公園」の東側住宅地を「中世遺跡」(古銭の出土、溝検出など)のひとつとして掲載
一方戦後間もない時期に在日米軍により撮影された国土地理院所管の航空写真によれば、これらの推定地とは別に幾つかの方形状区画をを認めることができるが、その当時には既に耕作地化がすすみ旧家の屋敷林区画の可能性が高いものと判断
推定地のひとつ
バスの本数も少ないことから往路は徒歩にてアプローチ
しかしこのラスト徒歩約2kmはかなり堪えた模様
帰路は何としても亀有駅行の京成バスに乗車せねば帰宅まで体が持たぬものと自覚
バス停の時刻表は往路で確認済み
とはいえ、バスの便は1時間に1本あるかないかという状況
このような事情から最後の香取神社は鳥居の付近から参拝し、14時13分発の京成バスに間に合わせるべく重い足取りを鼓舞し歩みを速めていった
というような次第で、今回は結果的に神社仏閣めぐりという趣に
当然西側の「小菅」(小菅御殿跡、現小菅拘置所)、南側の「堀切」方面までは遠く届かず
それでもこうした状況下でよく2か所目まで進めたとも思う
帰宅後の夕食中、まずは右手の指先が痙攣開始
次にそれをカバーしようとした左手も同調痙攣
さらに立ち上がろうとすると左太腿も痙攣して三重苦になり身動きならず
本日の歩行数は約3万3千歩に
やはり酷暑のもと、2万歩余りに抑えなくては身がもたぬことを痛感
「次回」はというと、ここはやはり「自戒」することとして、少なくとも2週間は空けよう
>東北の町からカキコです
>
>会田氏は史料が多いので楽しそうですね
>
>こちらは22度くらいで気力の消失を抑えながらやれそうです
>明日はどの町に行こうか考えながら寝落ちしそうです^ ^
>
こんばんは。
遠方よりのコメント誠に忝く存じます。
日中はともかく就寝時の気温が低いと助かりますね。
長躯遠征運転お疲れ様でございます。
資料を眺めながらの寝落ちも格別かと存じます。
ご無事でのご帰陣をお祈り申し上げます。