本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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とうとう今年6月以降9回目となる都内23区シリーズ
とはいうものの「遺構無」「ほぼ伝承地」「ほぼ無名」の事例数多な地域
このため盛り上がりに欠けることこの上なし
この時期は体力と気力の維持が第一義で、結果として空白地の漸減というおまけもあるというような心積もりが大事
経路は東上線―副都心線―千代田線―浅草線(京成押上線乗入)と乗り継ぎ、京成四ツ木駅へと移動
実はこの間、新宿3丁目と馬喰横山での地下鉄乗換の際にすでに足に違和感発生
その都度痛みの部位が異なる事態に困惑することしきり
それでもテーピング、サポター装着、内反小指対策、骨棘対策、足底腱膜炎対策等々ひととおりの足回り対策を講じると約1時間を要する
今回は右膝+両足踵(たぶん骨棘と推定)
思えば昨年の今頃は横浜市内を中心に彷徨
バスには極力乗らずにひたすら歩きまわり1日で40km近く歩けた日々が今では懐かしい
いまでは1日20km程度が限界となってきている
しかも天候は前日から当日早朝まで「蒸し暑く不安定」という予報
まさしく東の空は「朝焼け」で降雨の予兆あり
天候は持っても午前中頃までと判断
もっともこの蒸し暑さの中を夕刻まで彷徨するだけの気力と体力は皆無なのだが
凸伝葛西清重館(東京都葛飾区)
午前7時00分から7時10分
午前7時25分から7時30分
天台宗西光寺を中心とした一帯とも伝わるという
近代以降の市街地化が早く戦後間もない時期に撮影された航空写真はともかくとしても、明治初期の迅速図にさえも城館跡に関連するような痕跡の確認は困難
山門未開錠のため開門後に再訪しあらためて参詣
山門脇の説明版
国道6号線歩道から見える約3km先のスカイツリーの姿
すでにこの時点ですでに薄靄がかかりはじめ正しく雲隠れ
東京スカイツリー
◎伝葛西清重墓所(東京都葛飾区)
午前7時10分から7時15分
四ツ木一丁目西町町会会館の建物南側に所在
ブロックとフェンスに囲まれた私有地の雰囲気の漂う一角に所在
墓石自体の由来経緯については伝承性が濃厚の模様
伝葛西清重墓所
◎若宮八幡神社(東京都葛飾区)
午前7時25分から7時30分
幕末期の「江戸切絵図」等にはひときわ大きな境内が記載
現状は住宅地の一角に目立たぬように鎮座
「切絵図のデフォルメ」の可能性もあるが、合祀などによる移転若しくは境内地転用などの背景があったのだろうか
凸渋江陣屋(東京都葛飾区)
午前8時20分から9時00分
西光寺境内から徒歩にて東へ約600m移動
住宅街の路地を抜け京成押上線の踏切を横断し「日本城郭大系」が城館跡として推定している「白髭神社」へ
戦国期里見氏の陣城説、後北条氏家臣山中氏との関連などが想定
境内地をとりまく曲折した道路形状に城館跡特有の要素を感じるものの、仮に陣城となると関連性不明に
白髭神社
なお、ここで地元の参詣者と暫くの間歓談
一方「東京都の中世城館」によれば、白鬚神社北方約200m地点に所在する「葛飾郵便局」付近を想定
葛西郵便局
凸立石堀の内(東京都葛飾区)
午前9時35分から10時00分
葛飾郵便局から本奥戸橋の手前(立石駅前通りバス停)まで京成バス移動し徒歩約400m
中川の流路が大きく蛇行する沿岸で往昔には流路の変遷に左右される一帯
所在地は「東京都の中世城館」所収の「城館分布図」を参照
本奥戸橋付近から
「堀之内」の地名からその存在が窺われるという比較的曖昧な推定地の模様
念のため付近の「葛飾税務署」「真言宗南蔵院」「熊野神社」などを訪問
熊野神社
むろん地表上からは遺構の存在を窺わせるような地形的特徴を見出すことは困難
凸葛西城(東京都葛飾区)
10時35分から11時40分
この城跡の資料を集めていたのはもう10年以上も前の出来事
今回ようやく真剣に目を通したような次第
大石氏、千葉氏、後北条氏と変遷
葛西城址説明版
主郭は南北に貫通する環状7号線により東西に分断され、主に西側部分に石碑、説明版が配置されている
また下記画像の中央部付近で斬首されたと推定される1体の頭蓋骨(推定女性、年齢35歳±10歳)も検出されているという
後北条時代の主郭堀跡北東部付近ということなので、現状に当て嵌めればおそらく大型トラックが写り込んでいる近辺らしい
葛西城主郭は環七で分断
わずかに堀跡の形跡を留めるとされる道路が残されてはいる
発掘による堀跡検出部分と堀跡想定部分とを概ね彷徨
葛西城主郭西側の堀跡付近
凸御殿山(東京都葛飾区)
10時35分から11時40分
徳川氏による近世の「御茶屋御殿」のひとつで中世の葛西城主郭付近に重なるらしい
御殿山公園案内板
※今回の基礎資料(メモ追加分)
「平成19年度特別展図録 関東戦乱」(2007/葛飾区郷土と天文の博物館)
「東京下町に眠る戦国の城 葛西城」(2009/新泉社)
本年6月以降は毎回全て蒸し暑さの中の探訪
そのなかでもこの日の暑さは格別
時刻は正午前とはいえ足回りはほぼ限界
このあと約1.2kmほど西へと徒歩移動し、博物館で発掘された遺物を見学するという選択肢も
しかしこの時点で気力、体力ともに急降下
正午を前に両踵の痛みにより行動不能となる以前に敢然と撤退
暑さのため痛みどめの服用さえも失念(笑)
下車したバス停から再び京成バスに乗車し環七を北上し亀有駅へと向かった
亀有駅南口でバスを下車
ふと既視感を感じたが、おそらくは半世紀以前に訪れている可能性あり
ここで「こち亀」でお馴染みのモニュメントに対面
そういえば当地は「こち亀の故地」でもあった
その後千代田線直通常磐線に乗車し山手線―東上線経由で帰宅
まもなくこの日訪れた各所でゲリラ豪雨発生
足への負担を減ずるべく中間での移動手段に京成バスを多用するもこの日の歩行数は2万3800歩を記録
毎回のこまめの水分補給と「塩飴」摂取の効果はそれなり
とはいうものの「遺構無」「ほぼ伝承地」「ほぼ無名」の事例数多な地域
このため盛り上がりに欠けることこの上なし
この時期は体力と気力の維持が第一義で、結果として空白地の漸減というおまけもあるというような心積もりが大事
経路は東上線―副都心線―千代田線―浅草線(京成押上線乗入)と乗り継ぎ、京成四ツ木駅へと移動
実はこの間、新宿3丁目と馬喰横山での地下鉄乗換の際にすでに足に違和感発生
その都度痛みの部位が異なる事態に困惑することしきり
それでもテーピング、サポター装着、内反小指対策、骨棘対策、足底腱膜炎対策等々ひととおりの足回り対策を講じると約1時間を要する
今回は右膝+両足踵(たぶん骨棘と推定)
思えば昨年の今頃は横浜市内を中心に彷徨
バスには極力乗らずにひたすら歩きまわり1日で40km近く歩けた日々が今では懐かしい
いまでは1日20km程度が限界となってきている
しかも天候は前日から当日早朝まで「蒸し暑く不安定」という予報
まさしく東の空は「朝焼け」で降雨の予兆あり
天候は持っても午前中頃までと判断
もっともこの蒸し暑さの中を夕刻まで彷徨するだけの気力と体力は皆無なのだが
凸伝葛西清重館(東京都葛飾区)
午前7時00分から7時10分
午前7時25分から7時30分
天台宗西光寺を中心とした一帯とも伝わるという
近代以降の市街地化が早く戦後間もない時期に撮影された航空写真はともかくとしても、明治初期の迅速図にさえも城館跡に関連するような痕跡の確認は困難
山門未開錠のため開門後に再訪しあらためて参詣
山門脇の説明版
国道6号線歩道から見える約3km先のスカイツリーの姿
すでにこの時点ですでに薄靄がかかりはじめ正しく雲隠れ
東京スカイツリー
◎伝葛西清重墓所(東京都葛飾区)
午前7時10分から7時15分
四ツ木一丁目西町町会会館の建物南側に所在
ブロックとフェンスに囲まれた私有地の雰囲気の漂う一角に所在
墓石自体の由来経緯については伝承性が濃厚の模様
伝葛西清重墓所
◎若宮八幡神社(東京都葛飾区)
午前7時25分から7時30分
幕末期の「江戸切絵図」等にはひときわ大きな境内が記載
現状は住宅地の一角に目立たぬように鎮座
「切絵図のデフォルメ」の可能性もあるが、合祀などによる移転若しくは境内地転用などの背景があったのだろうか
凸渋江陣屋(東京都葛飾区)
午前8時20分から9時00分
西光寺境内から徒歩にて東へ約600m移動
住宅街の路地を抜け京成押上線の踏切を横断し「日本城郭大系」が城館跡として推定している「白髭神社」へ
戦国期里見氏の陣城説、後北条氏家臣山中氏との関連などが想定
境内地をとりまく曲折した道路形状に城館跡特有の要素を感じるものの、仮に陣城となると関連性不明に
白髭神社
なお、ここで地元の参詣者と暫くの間歓談
一方「東京都の中世城館」によれば、白鬚神社北方約200m地点に所在する「葛飾郵便局」付近を想定
葛西郵便局
凸立石堀の内(東京都葛飾区)
午前9時35分から10時00分
葛飾郵便局から本奥戸橋の手前(立石駅前通りバス停)まで京成バス移動し徒歩約400m
中川の流路が大きく蛇行する沿岸で往昔には流路の変遷に左右される一帯
所在地は「東京都の中世城館」所収の「城館分布図」を参照
本奥戸橋付近から
「堀之内」の地名からその存在が窺われるという比較的曖昧な推定地の模様
念のため付近の「葛飾税務署」「真言宗南蔵院」「熊野神社」などを訪問
熊野神社
むろん地表上からは遺構の存在を窺わせるような地形的特徴を見出すことは困難
凸葛西城(東京都葛飾区)
10時35分から11時40分
この城跡の資料を集めていたのはもう10年以上も前の出来事
今回ようやく真剣に目を通したような次第
大石氏、千葉氏、後北条氏と変遷
葛西城址説明版
主郭は南北に貫通する環状7号線により東西に分断され、主に西側部分に石碑、説明版が配置されている
また下記画像の中央部付近で斬首されたと推定される1体の頭蓋骨(推定女性、年齢35歳±10歳)も検出されているという
後北条時代の主郭堀跡北東部付近ということなので、現状に当て嵌めればおそらく大型トラックが写り込んでいる近辺らしい
葛西城主郭は環七で分断
わずかに堀跡の形跡を留めるとされる道路が残されてはいる
発掘による堀跡検出部分と堀跡想定部分とを概ね彷徨
葛西城主郭西側の堀跡付近
凸御殿山(東京都葛飾区)
10時35分から11時40分
徳川氏による近世の「御茶屋御殿」のひとつで中世の葛西城主郭付近に重なるらしい
御殿山公園案内板
※今回の基礎資料(メモ追加分)
「平成19年度特別展図録 関東戦乱」(2007/葛飾区郷土と天文の博物館)
「東京下町に眠る戦国の城 葛西城」(2009/新泉社)
本年6月以降は毎回全て蒸し暑さの中の探訪
そのなかでもこの日の暑さは格別
時刻は正午前とはいえ足回りはほぼ限界
このあと約1.2kmほど西へと徒歩移動し、博物館で発掘された遺物を見学するという選択肢も
しかしこの時点で気力、体力ともに急降下
正午を前に両踵の痛みにより行動不能となる以前に敢然と撤退
暑さのため痛みどめの服用さえも失念(笑)
下車したバス停から再び京成バスに乗車し環七を北上し亀有駅へと向かった
亀有駅南口でバスを下車
ふと既視感を感じたが、おそらくは半世紀以前に訪れている可能性あり
ここで「こち亀」でお馴染みのモニュメントに対面
そういえば当地は「こち亀の故地」でもあった
その後千代田線直通常磐線に乗車し山手線―東上線経由で帰宅
まもなくこの日訪れた各所でゲリラ豪雨発生
足への負担を減ずるべく中間での移動手段に京成バスを多用するもこの日の歩行数は2万3800歩を記録
毎回のこまめの水分補給と「塩飴」摂取の効果はそれなり
Comment
気を付けて頑張ってくださいませ
日本で最も体感温度の高い地区、お疲れ様です
熱中症はいうに及ばずですがテンション枯渇に気を付けてくださいね
私は月末から東北へ行ってきます
100城館攻城、山城3つを目標に掲げ頑張ってきます
かなり広範囲に移動するつもりです
山形県の資料が不足しているのが難点でどうしようか迷ってます^^
盆休みあたりに日帰りでどこか一緒にいけたらいいですね
それでは失礼いたしますm(__)m
熱中症はいうに及ばずですがテンション枯渇に気を付けてくださいね
私は月末から東北へ行ってきます
100城館攻城、山城3つを目標に掲げ頑張ってきます
かなり広範囲に移動するつもりです
山形県の資料が不足しているのが難点でどうしようか迷ってます^^
盆休みあたりに日帰りでどこか一緒にいけたらいいですね
それでは失礼いたしますm(__)m
Re:気を付けて頑張ってくださいませ
こんばんは。
この夏は何故か都内にどっぷりと嵌っております。
先日の霰雹では正午前に早めに退却しましたので降られませんでした。
連続9回目ですので、公共交通機関には詳しくなりましたが、流石にそろそろ飽きてまいりました~
といいますか路線バスでの移動なしには動けなくなりました(笑)
お盆、特に予定がありませんので空けておきます。
東北遠征、どうかお気をつけて行ってらっしゃいませ。
この夏は何故か都内にどっぷりと嵌っております。
先日の霰雹では正午前に早めに退却しましたので降られませんでした。
連続9回目ですので、公共交通機関には詳しくなりましたが、流石にそろそろ飽きてまいりました~
といいますか路線バスでの移動なしには動けなくなりました(笑)
お盆、特に予定がありませんので空けておきます。
東北遠征、どうかお気をつけて行ってらっしゃいませ。