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本来ならばもう少し間を空けておきたい所、生憎と今週の火曜日から金曜日までは雑用つづき。
このため中3日という足回りの回復も万全とは程遠い状態での探訪に。
前回に引き続いて武蔵野線経由、起点となるのは荒川区日暮里周辺。
先日の石浜城(荒川区)の折もかなりの酷暑。
然しこの日はさらに輪をかけた酷暑となりそうな蒸し暑さ。
早朝にもかかわらず既に最寄駅まで向かう際は汗が吹き出し続けていた。
◎道灌山遺跡(東京都荒川区)
午前6時15分から6時30分
道灌山通はあくまでも後世(明治初期以前、おそらく近世)の切通しで、本来は南側の道灌山公園と道灌山遺跡は連続した丘陵で南方の上野台方面から赤羽まで連続した崖地である。
開成学園前の「ひぐらし坂」「道灌山遺跡」などの説明版などを確認、あらためて北側崖線部地形をしげしげと観察。
この一連の崖線地形はすでに60年以上前から目にしていたお馴染みの地形、しかし数年前までは海蝕台地の一種としてとして理解していたことは無いというお粗末。
また、鉄道軌道の拡張により崖線部は約30mほどの幅で切土されているとも。
それもそのはずで山手線、京浜東北線、東北線、宇都宮線、東北・上越新幹線などの上下線が並行して走行している。
このため一度に走行する数本の列車を撮影することが可能でもある。
道灌山遺跡付近から
最近やっと絞り優先設定でのISO自動補正範囲の上限制御を使いこなせるようになってきているが、既に後継機種はもう2世代後まで流通している。
◎向陵稲荷神社(東京都荒川区)
午前6時30分から6時50分
秋田藩主佐竹氏の抱屋敷跡でもある(下屋敷との説も)
何度か移転している稲荷神社は元は同屋敷内の稲荷社。
向陵稲荷神社と坂
本日は足回りの準備に時間を要し朝食抜きのため、このまま探訪を続けるとかなりの確率でエネルギー切れとなることが予見された。
このため道灌山通沿いのファミマでハムサンドを購入。
しかし、道灌山通の南側に「サンドイッチ専門」の店を発見し落胆。
気を摂り直し、その後休憩の都度、水分補給と合わせ小出しに3度に分けて摂取 (笑)
凸道灌山城(東京都荒川区)
午前7時10分から7時20分
道灌山通に架かる歩道橋を渡り道灌山の公園へ移動。
「道灌山」に関する解説版は所在するものの、「道灌山城」に関する記述はない。
太田道灌、関道閑(江戸重長の舅とも)との関わりが指摘されているが経緯不詳。
西日暮里公園(道灌山公園)
凸諏訪神社(東京都荒川区)
午前7時20分から7時35分
「日本城郭全集」の記述に道灌山城に関連する「道灌山の付近の諏訪神社の地にも城があったという」記述が拠りどころ(笑)
おそらくは地元郷土史、伝承などからの引用なのであろうか。
道灌山公園に接した新堀、谷中の総鎮守で、鎌倉期に豊島左衛門尉経泰により創建と伝わる、江戸時代には眺望に優れた景勝地でぁったという。
諏訪神社社殿
そろそろ夏祭りの季節でその準備作業が始まりかけていた。
◎浄光寺(東京都荒川区)
午前7時40分から8時00分
真言宗豊山派元諏訪神社別当、別名雪見寺とも。
「将軍腰掛けの石」が所在するらしいが見当たらず(^^ゞ
西側の「富士見坂」(比高差約8m)を下り丘陵下へ移動。
◎青雲寺(東京都荒川区)
午前8時10分から8時15分
道灌山の公園からは崖線地形の関係上直接青雲寺方面にはアクセスできず、やや迂回して富士見坂を下り青雲寺へ。
別名花見寺、滝沢馬琴の筆塚などが所在。
滝沢馬琴の筆塚
◎経王寺(東京都荒川区)
午前8時25分から8時30分
有名な「谷中銀座商店街」(台東区)入口を素通りし、「夕焼けだんだん」を登り「上野戦争」当時の弾痕が残るという経王寺山門へ。
「夕焼けだんだん」
弾痕らしい形跡は少なくとも数か所は確認できる。
経王寺山門
◎本行寺(東京都荒川区)
午前8時35分から8時40分
別名「月見寺」とも、太田道灌丘碑とその標柱が所在。
太田道灌丘碑
◎太田道灌像(東京都荒川区)
せっかくなので日暮里駅北口のロータリーに所在しているというモニュメントも撮影。
太田道灌像と舎人ライナー
日暮里からは「舎人ライナー」に乗車、「扇大橋駅」へと移動。
5両編成のコンパクトな車両は乗員不在の自動運転方式。
幼児に戻り最前列に移動し車窓風景を愉しむ。
予想よりもカーブと坂が多い
凸荘司のかみ城(東京都足立区)
午前9時40分から10時00分頃まで
「東京都の中世城館」によれば、当該推定地は現荒川(旧荒川放水路)の堰堤と河川敷なので、遺構も面影も皆無な地点。
「本木排水場」が所在する南側付近が推定地らしい。
「平和橋通」からわざわざ往復600mほどを回り道して、15m前後の堰堤の階段を上り改めて巨大な堰堤と中央環状線の構造物を眺めてみたが日差しが強く気が遠くなってきた。
しかし、午前中とはいえこうした天候の下でも「ジョギング」をしている頑健な女性の方が複数おいでになることに驚かされた。
都内23区は遺構も寂しいが、やたらに伝承地も多く「石碑」「標柱」「説明版」などの類も見当たらない箇所が多く、探訪の意気があがらないことこの上なし。
たぶんこの辺り
「舎人ライナー扇大橋駅」からは一度扇大橋北詰交差点まで南下し、中央環状線と並行する荒川の堰堤北側の平和橋通を東へと向かい、この間の距離は約1.2km。
たかだか徒歩20分弱とはいえ、炎天下での体力の消耗を考慮すると最早苦行のようにも思えた。
現地に赴いて運行本数の少ない東武バス以外に初めて知ったのが、「足立区コミュニティバス」の存在。
運行本数は1時間あたり1本から2本程度だが、少なくとも「扇大橋駅」から「本木南町」間は「はるかぜ6号、11号」が連絡していたのであった。
凸中曽根城(東京都足立区)
午前10時10分から11時30分頃まで
歴史的経緯はあまり明確とはいえないものがあるように思われるが、中曽根神社境内とその周辺には「城址碑2基」を含む4基の石碑が所在しており、この日一番の収穫であった。
中曽根城主郭付近(推定)
往路の時点でも疲労が蓄積していたが、気力を振り絞って「地中レーダー探査により推定された堀跡」付近を反時計回りに概ね半周したこともあり、扇大橋駅までの復路ではさらにその足取りは重さを増幅させていた。
ついでなので西隣の「小屋の内出」との地名が残されている辺りに立寄り、城跡南西部の御嶽神社脇の道を南下しようやく帰途へとついた。
「小屋の内出」付近の路地
凸舎人屋敷(東京都足立区)
12時10分から12時20分頃まで
「東京都の中世城館」に示されていた推定地付近を念のためぐるっと一周する心づもりが、すでに中曽根城での往復にエネルギーが大方消耗していたらしい。
「舎人ライナー」の舎人駅で下車した時点から、その足取りはずしりと重たくまるで鉛の重りを装着したようになっていた。
むろん地表部の遺構はなく、所在地も曖昧で歴史的経緯も定かではない極めて伝承性の濃い城館跡である。
照りつける灼熱の下、赤山街道に出た辺りでとうとう僅かに残されていた気力が急速に萎えはじめてきた。
西側の路地をすすみ社名不詳の小祠が目に入った時点で、頭の中で何ブチッと何かが弾けたように感じたのは気のせいではないのかも知れない。
そろそろMRIの記念撮影もしておかねば(苦笑)
「赤山街道」
かくして推定地一周を断念、重い足を引きずり元来た道をよろよろと舎人駅へと戻ることとなった。
※東京23区内探訪の基礎資料(メモ)
「日本城郭全集第4巻」(1967/人物往来社)
「日本城郭大系第5巻」(1979/新人物往来社)
「東京都の中世城館」(2013/戎光祥出版)
「城巡礼東京48か所めぐり」(2008/東京地図出版)
「武蔵野城跡ウォーキング」(2007/東京新聞社)
「ぶらり東京近郊の名城・古城」(2008/PHP研究所)
「東京都の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「図説太田道灌」(2009/戎光祥出版)
「大江戸古地図大全」(2016/宝島社)
「江戸の大名屋敷を歩く」(2011-/祥伝社)
「江戸の川東京の川」(1989/井上書院)
「川の地図辞典」(2007/之潮)
「川跡からたどる江戸・東京案内」(2011/洋泉社)
「江戸の崖東京の崖」(2012/講談社)
「江戸東京地形の謎」(二見書房)
「古地図で歩く江戸東京」(2016/三栄書房)
「明治大正凸凹地図東京散歩」(2015/実業之日本社)
「近郊散策江戸名所図会を歩く」(1997/東京堂出版)
この日の歩数は2万8200歩。
とくに扇大橋駅から中曽根城までの往復がかなり堪え、あらためて体力が欠乏していることを思い知った。
暑さに体が順応するまで、いま暫くは外出を自重すべきかどうか逡巡するような陽気であった。
昔、狂ったように東京都の城めぐりをした日々が思い出されます
また行こうとは思いますが暑くて
かと言って冬はやはり山城中心に
都内にいくつかある名主屋敷めぐりもしてみたいですね
都内はひたすら暑いですね。
観測されている気温自体は埼玉の方が高いのですが、都市空間の気温は間違いなく都内の方が暑く感じました。
とはいえこの時期に相応しいのは遺構に無さそうな23区内の城館です。
健康寿命の残り具合を勘案しますと、冬場に訪れるのは余りに勿体なく・・・
という次第で著しい体力低下の予防と精神修養を兼ねてこの夏8度目の都内でした。
なお、熱中症で倒れなければこのあとも引き続いて葛西区、板橋区近辺を彷徨する予定でおります (笑)
コメントありがとうございました。