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港区、新宿区、中野区に続く都内23区シリーズ。
今回は渋谷区編。
23区内でも態々遺構に恵まれない場所ばかり訪れているような気も。
通勤ラッシュを避け午前9時17分発の副都心線直通元町行に乗車。
昨年の今頃は暑さとラッシュを避け主に始発を利用。
今年は遅く出かけて現地を午後3時前には撤収するスタイルに変更を。
つまり現地に滞在する時間は5時間足らずに。
こうでもしないとモチベーションの維持が困難。
上りの副都心線車内で目に入った首都圏各線の列車運行情報。
西武池袋線が乗客トラブル、西武拝島線は人身事故、京王井の頭線も人身事故、乗車している副都心線は車両点検といずれもダイヤが乱れているか、あるいは運転休止という按配に。
前回の帰宅時の人身事故による約2時間の運転休止が脳裏を過る。
その後乗車した副都心線通勤急行に関しては概ね定刻にて渋谷駅に無事到着。
◎道玄坂
午前10時20分から10時40分
渋谷駅西口の有名な道玄坂。
渋谷駅2番出口そのままから道玄坂を上り約250mほど先。
道玄坂交番前の交差点手前の少し手前、歩の道左側に設置されている道玄坂の由来碑などを見学。
道玄坂の由来碑など
史跡めぐりをされている複数名の年配者に遭遇。
そのまま渋谷駅方向に戻り、宮益坂方面へと移動。
たぶん渋谷での下車は4年ぶりくらい。
渋谷駅西口スクランブル
この近辺はいつ来ても人が多いので、人酔い状態となる。
凸伝河崎氏館
午前10時55分から11時05分
第一生命ビル、渋谷警察署の辺りが推定地とされている。
台地先端部というよりも寧ろ台地下に近い印象。
渋谷警察署付近
源義家郎党河崎庄司郎の館とも。(「東京都の中世城館」より)
元々伝承地としての色合いが強くその信憑性も不明。
第一生命ビルの脇から坂を上り渋谷八幡方面へ移動。
この坂自体の比高差は約8mほど。
現在の渋谷川
凸渋谷城
午前 11時10分から11時25分
渋谷八幡宮境内。
麓を走る明治通からの比高差は境内地自体もそれなりに高いことから10mを超えている。
ただし六本木通の方がやや高いので北側かにのびた台地先端という地形。
渋谷氏一族の城館跡ともいわれ、金王丸の伝承も遺されているが、あくまでもその詳細は不明。
渋谷八幡宮社殿
神社境内北側には天台宗東福寺が所在。
16世紀の初めに後北条氏により攻略されたとも。
展示されている「城跡の石垣」はあくまでも近世以降のものであるように思われる。
「石垣」
◎豊栄稲荷神社
午前11時30分から11時40分
境内に庚申塔群が所在し、建立者名に渋谷伝左衛門という名が刻まれていたという。
現在は碑文剥落により判読不可。
ほかに道標の役割を兼ねていたものもあり、こちらは今でも「めぐろ こんわう(金王)
道」の文字が判読。
「こんわう」の文字
◎東福寺
午前12時00分から12時10分
宝永元年(1704)銘の梵鐘に渋谷を「谷盛庄」と称されていた旨の記述が刻印されている。
天台宗東福寺
「谷盛庄」の文字がある梵鐘
なお境内の庭園に土塁と石垣が所在するが、その様子から考えるにおそらく造園工事によるものであろう。
このあとは国学院大学方向へと向かう学生に混じり氷川神社へ移動。
◎渋谷氷川神社
12時20分から12時35分
この社殿も台地辺縁部に所在している。
渋谷区最古の神社で江戸時代には下渋谷村、下豊沢村の総鎮守。
氷川神社社殿
国学院大学寄りの東側参道脇にL字型をした土塁状地形が認められる。
表参道沿いの地形同様、むろん神社造立に付随する可能性大。
些か規模が大きいように思われるがその経緯は不明。
土塁といえば土塁の様な
◎常盤の松
12時50分から13時00分
常盤松と呼ばれた常盤御前などとの伝承を記した幕末期嘉永年間に刻まれた石碑が所在。
当時の薩摩藩により設置され、天璋院(篤姫、13代将軍徳川家定正室)が一時滞在したという薩摩藩下屋敷との関連があるとの事らしい。
この辺の事情は「江戸切絵図」からは判然としない。
「常盤の松」石碑
なお、周囲には常盤松小学校など関連する建物名には事欠かない。
このあとは休憩を兼ねて渋谷区郷土館に立寄り資料収集。
◎黒田藩下屋敷
14時00分から14時20分
現在の渋谷図書館付近が下屋敷跡と推定されている模様。
渋谷図書館
「江戸切絵図」には松平美濃守の下屋敷として記載されている。
福岡黒田藩は2代目以降は松平姓が下賜され、第11代当主は美濃守名を拝領している。
終わりに渋谷図書館(地域館)にて「渋谷金王丸」関係の資料閲覧、収集。
このあとは撤退予定の午後2時半を回ったことから、残る「北青山遺跡」方面を先送りして帰路に就く。
本日の歩行歩数は1万7800歩ほど。
毎回懸案の足回りには所要の痛み対策に加えて今回はテーピングを追加。
ところが、すでに往路最寄駅階段から左膝に違和感発生。
先行きの懸念はあったが、痛みの増幅はなくどうにか持ち堪えられた。