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史進さんのお誘いにより岩手県奥州市、北上市と秋田県横手市の城館探訪へ。
午前4時に拙宅を出発。
2泊3日の行程で探訪先は概ね20か所前後。
途中大崎市の道の駅ほかに立寄る。
奥州市到着は午前11時過ぎ。
往路の走行距離は約460km。
凸上麻生城(岩手県奥州市) 午前11時20分から11時30分 再訪
東側の堀跡 標柱と説明版
凸中畑城ほか(岩手県奥州市)
・青麻神社の土塁 11時40分から11時45分 再訪
民家北西部の土塁(風除け) 青麻神社東側の堀跡(境堀か)
・中畑城 11時50分から12時00分 再訪
・字丑の子の土塁 12時頃 再訪
・大儀寺跡12時10分から12時12分 再訪
凸栗林遺跡(岩手県奥州市) 12時20分頃 再訪
凸六日城(岩手県奥州市)12時25分から12時40分 再訪
凸下姉体城(岩手県奥州市) 13時05分から13時20分 再訪
旧本丸(内館)の土塁 旧西舘(遠藤屋敷)の土塁
凸根蕪遺跡の土塁 13時25分から13時30分
下姉体城から上姉体城へと向かう国道343号線沿いに所在。
前回4月遠征時には情報不足などから全く気が付かずにパス。
発掘調査からは平安期の遺構とされているが、西側の一部に年代不明の土塁地形が残存。
今回は大谷選手活躍のお蔭で、姉体小学校北東に所在している土塁遺構をしっかりと確認。
西側土塁の南部分 西側土塁の北部分
凸上姉体城(岩手県奥州市) 13時40分から13時45分 再訪
東側土塁 西側土塁
凸舟形館(岩手県金ヶ崎町) 14時10分から14時30分 再訪
南側から 北東部付近
凸丸子館(岩手県北上市) 14時45分から15時10分
国道4号線北上バイパスの建設に伴い東西に分断された城郭だが、現在でも郭、空堀、土塁を確認することができる。
丸子館全景 同空堀跡
凸岩崎城(岩手県北上市) 15時40分から16時30分
和賀氏重臣岩崎氏の居城とも伝わる。
主郭と南西郭の間の堀切は大規模で深い。
主郭北側の堀切はこの時期には草薮が酷く全容は見えず。
南西郭の土塁 主郭枡形付近
1日目は再訪も含めて約10か所ほどの探訪となりました。
北上市内探訪の数は少ないのですが、今後の活動の足掛かりも掴めました。
お付き合いいただいた史進さんに感謝申し上げます。
毎度のことですが、ブログ更新はすでに4日遅れになっております。
のこり2日分の更新時期は我ながら不明であります ^_^;
そしていろいろとお世話になりました
私的な用事の為に大崎によって頂いたことも感謝です
楽しかったです
今回の旅もたくさんの宿題が課せられましたがそれも楽しみの一つであります^^
それと姉体の字が違ってますよ^^
九戸さんの姉帯になってます
九戸の姉帯が気になり、ついついやってしまいました ^_^;
こちらこそお世話になりました。
岩手までは自力でどうにか行けましたが、秋田となりますと気力が維持できません。
お陰様で秋田の地を踏みしめることが叶い、嬉しい限りであります。
順調に戦果を上げられたようですね。
根蕪遺跡の土塁、日ハムを応援しているので反応してしまいました(汗)
数日前から蝉の声も聞こえてきました。
暑い日が続きますがご自愛下さいませ~
根蕪遺跡は4月の時には気づかずにパスしておりました。
残存土塁の規模や配置状況などから推測するしかないところが歯がゆいところです。
機会があれば当時の発掘調査報告書を当たろうと考えております。
奥州市内にはこうした微妙な土塁地形が少なからず残存し、他に環濠屋敷、環濠集落などが少なくとも20か所以上所在していることから悩ましいものがあります。
コメントありがとうございました。
大儀寺の土塁と仰っていた土壇は私が現地で指摘した通り違いました^^
電子国土の航空写真1974~1978で同地を
見ていただけると一目瞭然です
なんと驚きの河川流路跡であります(笑)
そこに盛り土をしたんですね
あの形状で土塁はありえないと一目でわかりました^^
自分の目を褒めてあげました(笑)
現在は青麻神社(青麻権現)について調べています
これが難航していて多賀国府~北上辺りに分布していますが面白い伝承があって考察にハマってます^^
師匠の見解を覆してしまい申し訳ありませんm(__)m
でも勉強させていただきました^^
>大儀寺の土塁と仰っていた土壇は私が現地で指摘した通り違いました^^
>電子国土の航空写真1974~1978で同地を
>見ていただけると一目瞭然です
>なんと驚きの河川流路跡であります(笑)
>そこに盛り土をしたんですね
>あの形状で土塁はありえないと一目でわかりました^^
>自分の目を褒めてあげました(笑)
>
>現在は青麻神社(青麻権現)について調べています
>これが難航していて多賀国府~北上辺りに分布していますが面白い伝承があって考察にハマってます^^
>
>師匠の見解を覆してしまい申し訳ありませんm(__)m
>でも勉強させていただきました^^
こんにちは。
丁寧な検証ありがとうございます ^^
なお中畑城の辺りも旧河川流路があったらしく、城域自体も多少影響を受けている可能性もありそうです。
築堤のない中小河川の流路は洪水、氾濫などでも変遷を繰り返すことが多いようで勉強になりました。
ご指摘通り中畑城のすぐ脇から大儀寺にかけて流路がはっきり確認できますよ~♪
水田の形状から一目瞭然ですね
案内してもらった直後から言ってますがやっぱり中畑城は面白いサンプルですね
中世城館、河川流路、中世寺院、近世農家の土塁、葛西系の平城と良い材料が揃ってます^^
あらためまして案内ありがとうございました