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岩手県滞在3日目です。
昨日は天候の急変に見舞われて僅か3か所で撤退する羽目に。
本日こそマイナスに傾きかけた諸々の収支バランスを取り返すべく・・・という訳でもありませんが、昨日の夕刻から探訪計画だけは入念に練り直しを実施したはず。
しかし、その割には思ったような成果が上がったとはいえないような結末に・・・
◎田村氏家臣団屋敷跡(一関市萩荘) 午前8時40分
一関城に赴く道路沿いで標柱がありましたので撮影しました。
このほか事情があり少し離れた運動公園に駐車させていただいたことにより、このように実際に歩いてみて分かることのメリットも少しはあったようです。
凸一関城(一関市釣山) 午前9時00分から午前10時00分
昨日麓を通りかかったものの諸事情によりパスした場所であります。
公園化により城跡としての形跡が失われていることは紛れもない事実ですが、そこかしこに土づくりの城跡の名残を見出すことのできる場所です。
4月15日からさくら祭りが開催されるために園内の各所には提灯などが設営中でしたが、ソメイヨシノなどの満開まではまだ数日程度を要しそうでした。
◎田村氏家老屋敷(一関市田村町) 午前10時05分から10時20分
旧家の民家とあまり変わることのない規模の建造物で資料館にもなっていて来館者用の無料駐車場(約10台ほど)も併設されているので助かります。
◎近世一関城本丸跡(一関市城内) 10時25分から10時30分
この鐘楼が再現されている市営有料駐車場の辺りが近世一関城の本丸跡と推定されている模様です。
凸下黒沢城(一関市萩荘字山崎) 11時10分から13時00分
一関運動公園の個所からは比較的比高差のない尾根筋伝いに位置しています。
その距離は直線にして約600メートルほど。
このルートで城跡へのアプローチを試みるも、運動公園の最高所である展望台にて猛烈な藪に阻まれ全くルートを見出すことができず、気を取り直して当初の予定どおりに国道4号線一関バイパス沿いから改めてアプローチすることに。
このようにして先ずは約1時間ほどのロスタイムが発生しました。
運動公園展望台からの藪
ではこのような苦労の末に漸く辿りついた肝心の主郭周辺部の遺構はどうであったかといえば、概ねの所在地は特定できたものの叢生する笹薮などで地表の状態を目視できず、明確な遺構を確認するまでには至りませんでした。
主郭周辺は耕作地と藪に
かなり贔屓目に見れば帯郭状の地形の上を歩いているようにも思えなくもないのですが、下記画像のように周辺の樹木伐採作業に伴う暫定的な林道の築造跡と全く区別がつかないような状況でした。
下記画像は中腹から見上げた主郭付近の切岸跡のようにも見えなくもない地形です。
凸秋葉館(一関市萩荘字江川) 13時20分から14時10分
別名を市野館とも。
秋葉神社の境内が所在する比高差約40メートルほどの丘陵先端部が城跡であり、手持ちの資料では「麓に堀跡がある」という程度のものでしたが、実際には主郭を中心として複数の大規模な腰郭が階段状に配置された縄張となっておりました。
実際のところ腰郭群下部の一部は宅地化や耕作化などによるものもあろうかと思いますが、地表に残されている形跡からはそうした腰郭群によって厳重に防御されたものであることが伝わってくる素晴らしい遺構です。
単郭の主郭は比高約4メートルから6メートルほどの高さを有し、秋葉神社の社殿が鎮座していますが、現状からは土塁や小口などの形跡は確認できません。
主郭の切岸
なお主郭部分の東側には神社参道の石段が設置されていますが、震災などにより一部崩壊して現在は北側から登るようになっているようです。
斜面切岸は最大で45度を超える部分もあり、このため北側からの登攀は神社参道の階段が無ければ取り付くことが難しいくらいの角度となっておりました。
南側の尾根筋にも腰郭らしい地形がありますが、尾根筋を遮断するような堀切の形跡は見当たりませんでした。
無論それほど著名な城跡ではありませんが、小規模な遺構であるにも拘らず意外性もありこの日一番の収穫となりました。
また、東側約100メートルの地点にも同様の地形をした小ピークがありますが、こちらは藪が酷く斜面を全く這い上がるようなルートはありませんでした。
なお下黒沢城方面から眺めた場合にはこの小さな尾根筋の存在が視界を遮っているため見づらくしていることが分かりました。
などと記述していると尤もらしく聞こえますが、実は登るべき丘陵を誤ったのでありました。
この間のロスタイムは約30分ほど・・・
勘違いした丘陵先端部
凸上黒沢城(一関市萩荘字上黒沢) 14時35分頃
別名を片平館とも。
所在地そのものは明確でしたが、丘陵の麓近くまでアプローチしてみたものの登り口が見つからず撤退。
城跡の東側にあたる館下の集落から途中まで登れるルートがあるようなことを記載した資料もありましたが、斜面の角度と樹木の茂り具合を勘案して断念しました。
◎萩の馬場(一関市萩荘字打ノ目ほか) 14時40分頃
前九年の役で安倍氏を攻撃した上黒沢城を西に眺めながらたまたま萩荘市民センターの説明版に記載されていたので撮影してみただけです。
「陸奥話記」に記されている源頼義の軍勢13000人が布陣したとされている地点が上記の上黒沢城東側のこの平地辺りであろうと推定されているようです。
なお、ここから直線で北側約500メートルの地点には安倍氏側が築いた「小松の柵擬定地」が所在しています。
凸小姓館(一関市萩荘字上黒沢) 15時10分頃
久保川と川台川に挟まれた正しく天然の要害に所在する比高差80メートル以上の独立丘陵なのですが、ルート不明なことや比高差が厄介で、またいかにも藪が物凄いことが予見されたのでこちらも遠景撮影のみで撤退を。
◎字要害(一関市萩荘字要害) 15時30分から15時45分
この周辺の城館跡を下調べしているときに、たまたま「電子国土」や「いつもガイド」のウェブ地図の情報に「要害」の字名がでてきたことをふと思い出したので宿に帰るついでに立ち寄ってみた個所です。
集落の中心となっている春日神社境内のあたりが何やらそれらしく感じられるのですが、道路の東側に所在している「要害公民館」が所在しているほかは台地の一部が北上川の主流である磐井川の流れにより大きく削り取られている崖線が確認できるくらいでした。
昨日はそれなりに時間をかけて探訪計画をプランニングしたつもりでしたが、結果は正しく文字通り計画倒れに終始するところとなってしまいました。
合併以降の一関市内は東西に長大なことや、かつ低山が多いとはいえアズマザサなどの藪が多く登り道のないこともしばしばで目論見が外れる場合が頻出。
最後にカワチ薬局へ立ち寄り飲料水の補給。
ふと隣の建物を見やると「古戦場」というスーパー銭湯が(笑)
このようにして本日もまた歩行距離は20キロメートルほどとなりました。
明日以降は何とかこの状態を脱出せねばと「平地」「神社」「寺院」などをキーワードに無い知恵を絞りながら思案を重ねつつ、深々と3日目の夜が更けていくのでありました。
一関も4号線沿いは宮城県北と地形も変わらないので我庭も同然であります^^
前もって言ってくれればもっと資料と情報があったんですが^^
って、アッチ(本命)は行かなかったんですか??
それというのも今回の花巻以北は結果的に天候に恵まれず雨、雪、強風などに阻まれました。
向こうでは毎晩、毎朝の天候チェックが日課となりましたが、前の晩に晴れの予報が降雪や濃霧、強風などに予報に変わり、かくして行先はその日の出かける直前まで定まらないありさまでありました~
あらためまして今年の秋以降に再挑戦する積りでおります。
むろん気力と体力次第なのでありますが (^_^;)