10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 8 | 9 | ||
10 | 11 | 12 | 13 | 15 | 16 | |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
この日は次第に疲れてきたこともあり、城館探訪の方は一休みとした。
時間がもったいないので昼飯抜きでそのまま一日中郡山市中央図書館の郷土資料室に在室して資料の渉猟と複写作業に明け暮れてしまった。
公共図書館などでよく見かけるも午前9時半の開館と同時に入館し、そのまま午後3時半過ぎまで黙々と複写作業に励む一見目的不明の人物のひとりと化していた。
というのも、周辺の人間観察をしていると、実に膨大な量の「電話帳の複写」あるいは「住宅地図の複写」に勤しむ方々もおいでになり、もはや親近感さえ湧く事態に。
かつての在職中にはしばしばこうした光景を目にしていたものだが、自らから利用者としてこうした作業に勤しんでいると実に不思議な感覚にとらわれた。
主なターゲットは郡山市史通史編と資料編、これに白沢村史が加わり全部でA3サイズにして500枚を超えて用意していた500円玉をすべて使い切ってしまった。
相当のスピードで拡大コピーをしていたので、途中から左肩にいつもの痛みが走りはじめたが、このブログを実際に記載している10日後の10月末日に至ってもその痛みが残っているような次第であった。
なお、この日の夕食は経費節約のため松屋へ。
夕食には未だ早い時間帯ではあったがいわゆるワンオペであった。
注文したのは「牛カレー390円」で、早い話がカレーライスに牛丼用の牛肉を添えたものである。
ちなみに店名は奇しくも「郡山市 城清水店」であった(笑)
しかし確認されている中世城館跡はこのあたりには存在しないことから謎の地名ではある。
逢瀬町方面の低山を水源とした五百渕ともいわれている南川の水路が流れ、地図で調べてみるとその河岸には「清水内」という小字名も確認できることから「清水」の地名についてはなんとなくわかるような気もする。では「城」は何に由来するのかとなると、「はて..」という按配となってしまうのであった。
※追記
しかし、その後上記のコピーしてきた資料を整理していると「荒井猫田遺跡」に関するものが見つかり、ビックパレットの建設に伴う大規模な発掘調査により、複郭からなる中世城館跡と町屋の存在が明らかとなったという旨が記されていた。
この成果から類推すると「城清水」との地名に何らかの関係があったのではないかと考える事ができるのかも知れない。
新しいのと少し年季の入ったのが一台ずつありました。
ほぼ丸一日以上滞在していたのですが、関係資料すべてに目を通すのは困難でありました。
そのうち20冊ほどを選んで机に山積みを(笑)