本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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京都滞在2日目。
空模様は予報通りの雨に。
昼頃からは北風も強まるらしい。
昨日発症した両足踵の痛みは変わらず。
中敷きクッションを使用したもののその効果は不明に。
そういえば2011年4月に訪れた際にも同様の痛みが発生したことを思い出した。
どういうわけか文章の長さが階段状になっている...
それはともかく、ホテルの部屋で資料整理を行いつつ雨対応の行程に変更。
本来は二条城、聚楽第跡、御土居跡を軸に歩き回る予定のところ、この足の具合と天候を考慮。
凸塩小路若山城(午前10時31分)
京都駅に接した北東部の一帯とされているが当然地表状の遺構はない。
東を高倉通、西を烏丸通に挟まれた旧高瀬川が大きく湾曲した西岸部の平地に位置する。
基本となる城郭関係資料としては「京都市内およびその近辺の中世城郭」「京都府中世城館跡調査報告書第三冊」がある。
凸九条河原城(午前10時50分から11時10分)
河原町通と九条通が交差する北東角に位置している。
東側に流れる高瀬川は水堀だったのかも知れない。
北側には南岩本公園がある西側に幾分傾斜がかかった平地であった。
基本となる城郭関係資料としては「京都市内およびその近辺の中世城郭」と「京都府中世城館跡調査報告書第三冊」がある。
凸浄興寺城(午前11時30分から11時40分)
九条烏丸交差点の北西角に位置し、1983年と1984年に行われた烏丸通の発掘調査により南北方向の堀跡が確認されている。
中心部には現在も真言宗浄興寺が所在し中世寺院城郭化の一例と考えられている。
凸東寺(12時00分から12時15分)
浄興寺城から西へ1キロメートルほど行ったところに所在する世界遺産京王護国寺で九条通に面した南辺には現在でも水堀が残されている。
この頃から雨が激しさを増し傘を差していても 濡れてしまうような状態になってきた。
北門や宝蔵周辺の画像が欲しかったが、体が濡れるに従い確実に気力が消失してきた。
■羅城門跡(12時18分から12時20分)
当時の朱雀大路と九条大路が交差した南端部に建立されたと推定されている。
関連資料は「東寺・西寺・羅城門」(2013年5月25日 第245回京都市資料館文化講座)などがある。
矢取地蔵が安置された御堂の北隣の小公園内に標柱が所在する。
凸今村城(13時28分から13時40分)
鴨川を渡る九条跨線橋では北風が強まり雨は横降りとなった。
鴨川東岸の河岸段丘に所在し、北側と南側に明かな比高差が認められる。
基本となる城郭関係資料としては「京都市内およびその近辺の中世城郭」と「京都府中世城館跡調査報告書第三冊」がある。
このような行程をみると、城跡めぐりでもなく名所旧跡めぐりでもなく、たぶんまともな行き先は東寺くらいなのかとも思う。
降りしきる雨の中を安物のビニール傘をさし、観光ガイドではなく県別マップル右手に持ちながら足を引きずり歩き回る怪しげな初老の男となっていた。
今村城のあとは徒歩にて数カ所ばかり立ち寄りつつ東大路を北上する予定。
しかし雨風ともに強いことに加え、前日の湿布薬の効果も無くやはり足が言うことを聞かないというような深刻な事態に陥っていた。
このため東福寺駅からは京阪本線に乗車して三条駅へと移動して府立図書館へと向かうこととした。
下記画像は府立図書館西側を流れる水路。
かくて予定通り府立図書館にて所定の資料調査等を終えた。
ようやく雨は午後3時半過ぎ頃から小降りになったが、この時点で足の健康状態は過去最悪のモードに達していた。
京都駅方面のバス停までのわずか徒歩500メートルは、とうとうビニール傘を杖代わりにして進む羽目になり、とても他所に立ち寄れるというような状態ではなくなっていた。
この時間帯のバスの本数は極めて多く一時間あたり何と8本ほども。
おそらくバス自体に乗車したのは四半世紀ぶりなのかとも思う。
車内は折から修学旅行の高校生も乗車し満員状態。
いつも通り席に座るつもりは無かったが、手荷物が迷惑なのでたまたま空いた目の前の席に座ることに。
ふと車内を見回すと周囲には自分よりも年長者が居なかったのでそのまま京都駅まで座り続けた。
本日の歩行距離は約15キロメートルで、もはやこれが限界であった。
たぶん山城方面のほうが、息は切れるかも知れないが足の痛みは少ないようにも感じる。
空模様は予報通りの雨に。
昼頃からは北風も強まるらしい。
昨日発症した両足踵の痛みは変わらず。
中敷きクッションを使用したもののその効果は不明に。
そういえば2011年4月に訪れた際にも同様の痛みが発生したことを思い出した。
どういうわけか文章の長さが階段状になっている...
それはともかく、ホテルの部屋で資料整理を行いつつ雨対応の行程に変更。
本来は二条城、聚楽第跡、御土居跡を軸に歩き回る予定のところ、この足の具合と天候を考慮。
凸塩小路若山城(午前10時31分)
京都駅に接した北東部の一帯とされているが当然地表状の遺構はない。
東を高倉通、西を烏丸通に挟まれた旧高瀬川が大きく湾曲した西岸部の平地に位置する。
基本となる城郭関係資料としては「京都市内およびその近辺の中世城郭」「京都府中世城館跡調査報告書第三冊」がある。
凸九条河原城(午前10時50分から11時10分)
河原町通と九条通が交差する北東角に位置している。
東側に流れる高瀬川は水堀だったのかも知れない。
北側には南岩本公園がある西側に幾分傾斜がかかった平地であった。
基本となる城郭関係資料としては「京都市内およびその近辺の中世城郭」と「京都府中世城館跡調査報告書第三冊」がある。
凸浄興寺城(午前11時30分から11時40分)
九条烏丸交差点の北西角に位置し、1983年と1984年に行われた烏丸通の発掘調査により南北方向の堀跡が確認されている。
中心部には現在も真言宗浄興寺が所在し中世寺院城郭化の一例と考えられている。
凸東寺(12時00分から12時15分)
浄興寺城から西へ1キロメートルほど行ったところに所在する世界遺産京王護国寺で九条通に面した南辺には現在でも水堀が残されている。
この頃から雨が激しさを増し傘を差していても 濡れてしまうような状態になってきた。
北門や宝蔵周辺の画像が欲しかったが、体が濡れるに従い確実に気力が消失してきた。
■羅城門跡(12時18分から12時20分)
当時の朱雀大路と九条大路が交差した南端部に建立されたと推定されている。
関連資料は「東寺・西寺・羅城門」(2013年5月25日 第245回京都市資料館文化講座)などがある。
矢取地蔵が安置された御堂の北隣の小公園内に標柱が所在する。
凸今村城(13時28分から13時40分)
鴨川を渡る九条跨線橋では北風が強まり雨は横降りとなった。
鴨川東岸の河岸段丘に所在し、北側と南側に明かな比高差が認められる。
基本となる城郭関係資料としては「京都市内およびその近辺の中世城郭」と「京都府中世城館跡調査報告書第三冊」がある。
このような行程をみると、城跡めぐりでもなく名所旧跡めぐりでもなく、たぶんまともな行き先は東寺くらいなのかとも思う。
降りしきる雨の中を安物のビニール傘をさし、観光ガイドではなく県別マップル右手に持ちながら足を引きずり歩き回る怪しげな初老の男となっていた。
今村城のあとは徒歩にて数カ所ばかり立ち寄りつつ東大路を北上する予定。
しかし雨風ともに強いことに加え、前日の湿布薬の効果も無くやはり足が言うことを聞かないというような深刻な事態に陥っていた。
このため東福寺駅からは京阪本線に乗車して三条駅へと移動して府立図書館へと向かうこととした。
下記画像は府立図書館西側を流れる水路。
かくて予定通り府立図書館にて所定の資料調査等を終えた。
ようやく雨は午後3時半過ぎ頃から小降りになったが、この時点で足の健康状態は過去最悪のモードに達していた。
京都駅方面のバス停までのわずか徒歩500メートルは、とうとうビニール傘を杖代わりにして進む羽目になり、とても他所に立ち寄れるというような状態ではなくなっていた。
この時間帯のバスの本数は極めて多く一時間あたり何と8本ほども。
おそらくバス自体に乗車したのは四半世紀ぶりなのかとも思う。
車内は折から修学旅行の高校生も乗車し満員状態。
いつも通り席に座るつもりは無かったが、手荷物が迷惑なのでたまたま空いた目の前の席に座ることに。
ふと車内を見回すと周囲には自分よりも年長者が居なかったのでそのまま京都駅まで座り続けた。
本日の歩行距離は約15キロメートルで、もはやこれが限界であった。
たぶん山城方面のほうが、息は切れるかも知れないが足の痛みは少ないようにも感じる。
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