10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 8 | 9 | ||
10 | 11 | 12 | 13 | 15 | 16 | |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
史進さん、軍曹さんと恐らく4年ぶりに葡萄狩りの観光客で賑わう甲州路を散策。
とはいえただ散策していたわけではなく、あくまでも無論中世城館探訪が目的。
凸成沢の烽火台(甲州市、以下同じ) 午前10時00分から午前11時00分
峠道から北側の尾根筋に階段状の郭跡とみられる人口地形が存在している。
上部の3段ほどの郭部分と下段の谷筋に繋がる複数の段郭から構成されていた。
疑問に思えたのは下部の複数の段郭の中央部に竪堀状の地形が存在し人口地形を東西方向に二分していたこと。
現状から観察する限りでは、大雨などによる表土の流出とは考えにくい溝状の地形であった。
谷筋に近い麓部分には後世の耕作或いは植林を目的としたと考えられる複数の石積みを伴う造成地を確認することができる。
なお、高圧送電線の鉄塔が所在する峠道南側の地形については西側の一部に2段ほどの腰郭状の地形を確認することができるが、城郭関連遺構と判断するには難しいものと考えられ、尾根筋全体も南側に向かって緩斜面を形成していることから、積極的に城郭遺構の一部とみることについても異論があるものと考えられる。
また、現在の舗装された林道を構築するにあたり、稜線の繋がりを想定した場合に鞍部の切り土が行われていたような印象も感じられた。
凸琵琶城 午前11時25分から11時30分
その現状からは明確な遺構を確認することはできないが、東側には高さ3メートルから4メートル程度の段丘の崖線が現存しており、縄張上の優位性を有していることが感じ取られる。
凸大村氏屋敷 午後12時20分から午後12時40分
いささか所在地に赴くまで時間を要した。
実際には車を止めた場所からそのまま丘陵を北側に登れば到着する位置に所在していた。
屋敷跡北側と西側に明確な土塁および堀跡遺構が現存している。
屋敷跡の北西部には土塁の切れ目が存在し、小口として捉えることも不可能ではない。
とくに西側部分では堀底から背丈ほどの高さを測り、空堀の幅は上面で6メートル以上を有している。
土塁基底部に石積みが確認できるが、往事のものであるかどうかは不明。
凸但馬屋敷 13時10分から13時30分
ぶどう園に囲まれたというか、ぶどう園そのもので但馬ぶどう園が目印で丘陵の中腹に所在しているが、明確な遺構は確認できない。
北辺に石祠が所在している。
屋敷跡の南西付近に大村家の墓地が所在し、古い五輪等が現存しているがその関係経緯は不明。
凸筑前原の塁(笛吹市、以下同じ) 15時45分から16時00分
現在遺構が存在しているのは、寺院と小学校の間の山林部分のみで、一部に二重土塁と思われる人口地形が確認できる。
その部分的に残存している地形から全体の縄張りを想定することは難しい。
凸浪人屋敷 16時10分から16時30分
国分寺跡西側に土塁と堀跡の地形を確認することができるが、用水路の改修などにより地形の
現況が変更されていることからその全容を把握することは難しい。
※三倉屋敷 16時40分から16時45分
近世博徒の屋敷跡とされており、地元郷土史会が作成した説明板が存在している。
葡萄狩りの本場に出かけて、葡萄を購入することも食することなく帰宅した。
しかし帰宅してみると、家内が知り合い経由で葡萄を購入していた。
何と生産地を見れば旧牧丘町(現甲州市)と印刷されていた^^