本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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本日は飯能の「平野砦」を強引に搦手から攻略。
所在地が尾根筋の中腹にあるという程度の極めて曖昧な情報のため、大高山との地形上の関係も気になることから、敢えて正味3時間半(延べ合計4時間40分)をかけて南側の大高山山頂(標高493m、比高差約300m)から北東方向の標高400m前後の尾根筋を目指して不明確な踏跡経由で迂回する作戦を決行。
このため本日の装備は久々の重装備にて。
飲料水2リットル、救急用品一式、非常食料5食分、高カロリーのキャラメル2箱、地形確認のための双眼鏡、岩場突破用ロープ一式、雨露除けシート、地形図2種類、方位磁石2個、懐中電灯、防寒着、藪突破用のゴーグル、荊対策の作業用安全手袋など〆て総重量8kg(笑)
凸りゅうがい山 (飯能市) 午前10時30分~正午まで
途中前回に訪れた判断の難しい「堀切」「竪堀」状地形の所在する「りゅうがい山」に立ち寄り、これでもかとばかりにその都度ASAなどの細かい設定を行いつつデジカメ撮影。
今回は何とかピンボケと露出不足の解消には成功。
然しやはり叢生する樹木と地形上の問題から決定的な構図を得られず仕舞いなのでありました。
三脚も持参したものの、ASAの設定で1/30程度のシャッター速度が得られるので結局は未使用のままにて。
これは明確な
堀切まがい
2007/01/27 撮影
この山頂西側の「堀切」「竪堀」などの一連の遺構についての判断は実に難しいところです。
然し、「遺構」らしき地形の存在と
①秩父と飯能市街を結ぶ高麗川沿いの往還を眼下に見下ろせる地理的条件
②尾根続きの麓に近い中腹に所在する「岡部屋敷」との関係
③「りゅうがい山」という地名の存在すること。
などの諸点を総合すると、ある程度「中世城館」との関連を想定することも可能であるように思いたいものなのでありました(苦笑い)
堀切状の地形
を南側の竪堀から
2007/01/27 撮影
勿論具体的な時代背景、歴史上の人物とのつながりについては岡部氏などとの関連が憶測されるほかには、伝承も含めて殆んど手がかりがありません。
南側の竪堀状の地形
2007/01/27 撮影
堀切状地形
2007/01/27 撮影
凸平野砦 (飯能市) 正午~午後15時10分まで
肝心の「遺構」は西側で約2,500㎡(東西60m、南北40mほど)、一段下方の北側で約1,200㎡(東西30m、南北40mほど)という上下2か所ほどの平場のみでありました。
人工的に削平されていることは理解できますが、尾根続き部分の「堀切」はほぼ現存していないものと思われ、平場先端部分の「切岸」などもあるようなないような誠に微妙な印象でありました。
尾根筋西側の平場
2007/01/27 撮影
尾根筋北側の平場
2007/01/27 撮影
一方尾根下りの途中にて「りゅうがい山」の南東側からの姿をデジカメに納めることに成功。
また下山ルートの関係で北側の林道から直接登る最短コースも明確になりましたが、結論から申せばわざわざ行くほどのものかと問われると、何とも答えようのない「砦跡」なのでありました。
りゅうがい山
標高354m
2007/01/27 撮影
いずれにせよ林道側から這い上がるルートの方が遥かに分かりやすく安全のようです。
大高山から尾根筋に沿って下山してくるコースは踏跡程度の道があるようなないような悪路にて。
加えて予定通りの地点にて平場を見つけて喜んだ所までは良かったのですが..当然の結果として下山ルートも消失(大汗)
下方の林道までの直線距離が最短で僅か200mであることが頭の中で分かっていても、岩場などが出現しないことを祈りつつ些か焦った心境に陥った次第にて。
地形図と方位磁石を頼りに、所々荊の生えた尾根筋を忠実に辿りつつ無事林道へ到達して何とか生還。
少しくらい道に迷ってもさほど困らない、平地の城館跡が懐かしいのでありました(苦笑)
午前10時30分にスタートし駐車場所の辿り着いたのは午後15時10分。
実態としては、大高山岩尾根難コースハイキングなのでありました。
大高山までのルートは小学生でも歩ける十分に整備されたコース。
然し多少のアップダウンがあるために、実質的な比高差は400m近くとなる計算。
途中大高山へのハイキングルートでは小学生1名を含む合計3組4人のハイカーと遭遇し、恒例の「ちわーす」との挨拶を交わすことに。
大高山の山頂では、食事も摂らずに地形図と方位磁石を見つめてぶつぶつ独り言を言いながら、薄暗い杉木立の斜面に消えていくという怪しい人物に変身(自分のこと)。
明らかにハイキングルートから外れた北側の斜面を下ってゆく五十男の姿は、親子連れのハイカーから見るとさぞかし異様な光景であったかも知れず(汗)
北側斜面から眺めた大高山
標高493m
2007/01/27 撮影
大高山の西側には絶壁の岩場が2ヶ所ほど所在
向かって左側はほぼ垂直に近い20mほどの断崖を形成。
平野砦へ向かう尾根筋でこんな地形に遭遇したらとても突破は不可能にて。
幸い、踏跡の消失、荊などの棘のある植物の出現程度で済みましたが。
大高山西側の岩場
2007/01/27 撮影
この付近は大高山の標高500m前後が最高峰あると共に、あくまでも1時間も歩けば人家に辿り着く低山の領域。
このため強いて言えば選択可能なルートであるに過ぎず。
これが標高1千m前後の山岳地域となると、滝や断崖の存在とともに渓谷自体も深く、無謀かつ遭難の危険性も内在することは必定と肝に銘じて居る次第。
所在地が尾根筋の中腹にあるという程度の極めて曖昧な情報のため、大高山との地形上の関係も気になることから、敢えて正味3時間半(延べ合計4時間40分)をかけて南側の大高山山頂(標高493m、比高差約300m)から北東方向の標高400m前後の尾根筋を目指して不明確な踏跡経由で迂回する作戦を決行。
このため本日の装備は久々の重装備にて。
飲料水2リットル、救急用品一式、非常食料5食分、高カロリーのキャラメル2箱、地形確認のための双眼鏡、岩場突破用ロープ一式、雨露除けシート、地形図2種類、方位磁石2個、懐中電灯、防寒着、藪突破用のゴーグル、荊対策の作業用安全手袋など〆て総重量8kg(笑)
凸りゅうがい山 (飯能市) 午前10時30分~正午まで
途中前回に訪れた判断の難しい「堀切」「竪堀」状地形の所在する「りゅうがい山」に立ち寄り、これでもかとばかりにその都度ASAなどの細かい設定を行いつつデジカメ撮影。
今回は何とかピンボケと露出不足の解消には成功。
然しやはり叢生する樹木と地形上の問題から決定的な構図を得られず仕舞いなのでありました。
三脚も持参したものの、ASAの設定で1/30程度のシャッター速度が得られるので結局は未使用のままにて。
これは明確な
堀切まがい
2007/01/27 撮影
この山頂西側の「堀切」「竪堀」などの一連の遺構についての判断は実に難しいところです。
然し、「遺構」らしき地形の存在と
①秩父と飯能市街を結ぶ高麗川沿いの往還を眼下に見下ろせる地理的条件
②尾根続きの麓に近い中腹に所在する「岡部屋敷」との関係
③「りゅうがい山」という地名の存在すること。
などの諸点を総合すると、ある程度「中世城館」との関連を想定することも可能であるように思いたいものなのでありました(苦笑い)
堀切状の地形
を南側の竪堀から
2007/01/27 撮影
勿論具体的な時代背景、歴史上の人物とのつながりについては岡部氏などとの関連が憶測されるほかには、伝承も含めて殆んど手がかりがありません。
南側の竪堀状の地形
2007/01/27 撮影
堀切状地形
2007/01/27 撮影
凸平野砦 (飯能市) 正午~午後15時10分まで
肝心の「遺構」は西側で約2,500㎡(東西60m、南北40mほど)、一段下方の北側で約1,200㎡(東西30m、南北40mほど)という上下2か所ほどの平場のみでありました。
人工的に削平されていることは理解できますが、尾根続き部分の「堀切」はほぼ現存していないものと思われ、平場先端部分の「切岸」などもあるようなないような誠に微妙な印象でありました。
尾根筋西側の平場
2007/01/27 撮影
尾根筋北側の平場
2007/01/27 撮影
一方尾根下りの途中にて「りゅうがい山」の南東側からの姿をデジカメに納めることに成功。
また下山ルートの関係で北側の林道から直接登る最短コースも明確になりましたが、結論から申せばわざわざ行くほどのものかと問われると、何とも答えようのない「砦跡」なのでありました。
りゅうがい山
標高354m
2007/01/27 撮影
いずれにせよ林道側から這い上がるルートの方が遥かに分かりやすく安全のようです。
大高山から尾根筋に沿って下山してくるコースは踏跡程度の道があるようなないような悪路にて。
加えて予定通りの地点にて平場を見つけて喜んだ所までは良かったのですが..当然の結果として下山ルートも消失(大汗)
下方の林道までの直線距離が最短で僅か200mであることが頭の中で分かっていても、岩場などが出現しないことを祈りつつ些か焦った心境に陥った次第にて。
地形図と方位磁石を頼りに、所々荊の生えた尾根筋を忠実に辿りつつ無事林道へ到達して何とか生還。
少しくらい道に迷ってもさほど困らない、平地の城館跡が懐かしいのでありました(苦笑)
午前10時30分にスタートし駐車場所の辿り着いたのは午後15時10分。
実態としては、大高山岩尾根難コースハイキングなのでありました。
大高山までのルートは小学生でも歩ける十分に整備されたコース。
然し多少のアップダウンがあるために、実質的な比高差は400m近くとなる計算。
途中大高山へのハイキングルートでは小学生1名を含む合計3組4人のハイカーと遭遇し、恒例の「ちわーす」との挨拶を交わすことに。
大高山の山頂では、食事も摂らずに地形図と方位磁石を見つめてぶつぶつ独り言を言いながら、薄暗い杉木立の斜面に消えていくという怪しい人物に変身(自分のこと)。
明らかにハイキングルートから外れた北側の斜面を下ってゆく五十男の姿は、親子連れのハイカーから見るとさぞかし異様な光景であったかも知れず(汗)
北側斜面から眺めた大高山
標高493m
2007/01/27 撮影
大高山の西側には絶壁の岩場が2ヶ所ほど所在
向かって左側はほぼ垂直に近い20mほどの断崖を形成。
平野砦へ向かう尾根筋でこんな地形に遭遇したらとても突破は不可能にて。
幸い、踏跡の消失、荊などの棘のある植物の出現程度で済みましたが。
大高山西側の岩場
2007/01/27 撮影
この付近は大高山の標高500m前後が最高峰あると共に、あくまでも1時間も歩けば人家に辿り着く低山の領域。
このため強いて言えば選択可能なルートであるに過ぎず。
これが標高1千m前後の山岳地域となると、滝や断崖の存在とともに渓谷自体も深く、無謀かつ遭難の危険性も内在することは必定と肝に銘じて居る次第。
昨夜からの降雪予報は外れたようで夜半から明け方にかけての少量の降雨のみ。
午前中に天候が回復してきたこともあり、所用を済ませてからいつも通り少し遅めの出発。
凸「岡部屋敷」と「りゅうがい山」(飯能市)
午前11時50分から午後15時20分
始めに駐車場所の確保のため坂石小学校跡地付近の「岡部屋敷」方面へ。
「中屋敷」とも呼ぶようで、旧原市場村の「中屋敷」との関係が混乱している模様。
「岡部屋敷」側から登ることも考えたものの、ルートが不明確なことと踏跡が見当たらず、最終的には「登るよりも下るほうが楽だろう」と考えて大高山のハイキングルートの途中からアプローチすることに。
車の方は白髭神社にお参りしたのち、余り広いとはいえない境内の端のほうへ駐車させていただくことに。
土日・祝日の場合 吾野駅の周辺では駐車場所の確保がちょっとした課題のもよう。
さておよそのルート、所在地、駐車場所も前回にて概ね確認済み。
唯一不明なのは「りゆうがい山」への登山口のみ。
吾野の駅前の売店にて、儀礼上105円の「ボンタンアメ」(昼食兼用、非常食はこのほかにカロリーメイトが5箱)を購入し大高山への道を聞くことに。
飯能地区も降雪とはならなかった由にて。
「滑りますから気をつけて」とのお言葉をありがたく拝聴。
また大高山への道は何と西武線の下の幅の狭い地下道を抜けていくとのこと。
これでは前回まったく気がつかなかったはず。
法光寺の谷沿いの墓地脇の道を進むと、すぐ左手の尾根筋に取り付く指道標が所在。
ここからは大高山(493m)、天覚山(445m)へのハイキングルートであるため山道としては十分整備され比較的良好なルート。
ルートの途中では急に出現するダイナミックなⅤ字状の深い谷、意外なほど峠部分の平坦地など飽きさせない興味深い地形が各所に散見。
然しその何れも中世城館跡の遺構とは直接の関連はない模様。
自然地形の侵食谷
2007/01/22 撮影
今回は購入したばかりのデジカメのテストも兼ねている為、時間の割には全く先に進まず大高山のハイキングルートの入口に着いたのは既に12時40分。
「りゅうがい山」への分岐表示(少し先には小さな行き止まりの表示あり)に到着した時には午後1時頃。
この先にも巨岩や深いⅤ字谷ありと防御には事欠かない自然地形。
こうした自然地形のなどを撮影していたので、漸く「りゅうがい山」の山頂に到着したのは既に午後1時20分過ぎ。
途中、明らかに自然崩落と思われる竪堀状地形1ヶ所。
唯一「堀切」あるいは「竪堀」類似地形と推定できる地形が1ヶ所。
山側には堀切との比高差3メートルほどの巨岩があり、その上部からは堀切部分を睥睨するという位置関係。
堀切部分は細い土橋状の地形を形成し、南北方向には自然地形との区分が難しい竪堀状の地形を伴うもの。
特に北側は高さ10メートルほどの絶壁と自然地形のⅤ字谷につながっているため、そのトラバースは危険極まりなくほぼ不可能。
「堀切」に見えなくもない地形
2007/01/22 撮影
山頂自体は余り広くはなく現在は杉の植林のため視界が遮られているものの、本来は坂石町分の吾野周辺の集落を見通すことができるという本来的には眺望良好な地理的条件。
東側からの山頂
同上
標高354mの山頂から東側へとのびる平坦な尾根筋がとても気になったので、この際比高差60mと推定される急斜面の上り下りを敢行。(一番下の画像参照)
このとき摑まるものがなく、まず1度スライディングして空を見上げる結果に。
東側の尾根筋から見た
北側の急斜面
同上
残念ながら東側の尾根筋上では平場、堀切などの一切の人工地形の存在は確認できず。
唯一の成果といえば、降りるのも登るのも小さな岩場などが障害となり極めて大変な労力を伴うものであることを体感したことなのでありました。
その結果として「堀切」「腰郭」「竪堀」などの普請が全く不要であることも判明したという次第。
さて漸く何とか山頂へと這い上がり、「りゅうがい山」の北尾根中腹に所在するはずの「岡部屋敷」を目指すことに。
方位磁石と現地の地形を十分に確かめて比高差100メートルほどの下降を開始。
獣道さえ見当たらない杉の植林された斜面を下降中に先ず1度ズッコケ。
途中から杉の植林のため視界が利かないものの、上方からの地形判断により些か方向がずれていることが判明。
途中から西側へ50mほどトラバースして細い尾根上に僅かな人間の踏跡発見。
然し朝方までの雨のためたっぷりと湿った杉の木の根のため、ふたたび落ち葉の斜面にて自分の意思とは関係なくスライディングを敢行。
デジカメは背中のザックに収納し、両手を完全にフリーに。
かつ、危険作業用の特殊手袋を装着しあらかじめ転倒の準備だけは怠りなく怪我などは一切なし。
比高差で70mほど下降した時点で、いかにもそれらしい「平場」を確認。
東西方向約40メートル、南北方向約50mほどの殆んど平坦に規模で南側の尾根筋を除く三方の斜面には人工的な「切岸」が明確に存在。
南東部分の個所の平場がやや突出した形状でその個所に食い込む侵食谷の切れ込みが意外に深かったのが印象的。
さて此処から下るべき道が...ない。
岡部屋敷西側の切岸
2007/01/22 撮影
岡部屋敷中央部
同上
岡部屋敷東側の谷
同上
北側には国道299号線なども見えているので、西側の杉の植林されたやや開けた緩斜面を下降。
しかしもこのまま下ると高さ20mほどのコンクリート製の崩落防止施設の上へと出てしまう可能性が濃厚。
幸い途中で東側へ伸びる里道に突き当たったので渡りに船と東へ進路変更。
下りきった個所はなんと「中屋敷」と比定されている例の石垣のある畑なのでありました(笑)
この場所から上れば、「りゅうがい山」は別として調査時間を含めても往復1時間前後と判明したのは正しく後の祭り。
「中屋敷」とも
2007/01/22 撮影
さて、新しいデジカメについては、暗い個所では太い木に凭れて撮影するなどの工夫をしたものの、三脚を忘れてきたのが今回の最大の失敗。
全自動では肝心な個所にピントが合わず 、シャッタースピードが1/20秒未満の撮影では手ブレが酷いことも判明。
またプログラムモードでの撮影時にはストロボの光量も不足。
新しいデジカメの色々な特性を学習するよい機会なのでありました。
「岡部屋敷」とその背後の
「りゅうがい山」(標高354m)
それにしてもデジカメのテストと多少の難路があるとはいえ比高差にして僅か220メートルほどの小山に3時間30分(東側の往復分を除く本来の行程は約1時間半)も時間がかかるという情けなさに、あらためて心肺機能を含む体力の衰えを痛感いたしました。
午前中に天候が回復してきたこともあり、所用を済ませてからいつも通り少し遅めの出発。
凸「岡部屋敷」と「りゅうがい山」(飯能市)
午前11時50分から午後15時20分
始めに駐車場所の確保のため坂石小学校跡地付近の「岡部屋敷」方面へ。
「中屋敷」とも呼ぶようで、旧原市場村の「中屋敷」との関係が混乱している模様。
「岡部屋敷」側から登ることも考えたものの、ルートが不明確なことと踏跡が見当たらず、最終的には「登るよりも下るほうが楽だろう」と考えて大高山のハイキングルートの途中からアプローチすることに。
車の方は白髭神社にお参りしたのち、余り広いとはいえない境内の端のほうへ駐車させていただくことに。
土日・祝日の場合 吾野駅の周辺では駐車場所の確保がちょっとした課題のもよう。
さておよそのルート、所在地、駐車場所も前回にて概ね確認済み。
唯一不明なのは「りゆうがい山」への登山口のみ。
吾野の駅前の売店にて、儀礼上105円の「ボンタンアメ」(昼食兼用、非常食はこのほかにカロリーメイトが5箱)を購入し大高山への道を聞くことに。
飯能地区も降雪とはならなかった由にて。
「滑りますから気をつけて」とのお言葉をありがたく拝聴。
また大高山への道は何と西武線の下の幅の狭い地下道を抜けていくとのこと。
これでは前回まったく気がつかなかったはず。
法光寺の谷沿いの墓地脇の道を進むと、すぐ左手の尾根筋に取り付く指道標が所在。
ここからは大高山(493m)、天覚山(445m)へのハイキングルートであるため山道としては十分整備され比較的良好なルート。
ルートの途中では急に出現するダイナミックなⅤ字状の深い谷、意外なほど峠部分の平坦地など飽きさせない興味深い地形が各所に散見。
然しその何れも中世城館跡の遺構とは直接の関連はない模様。
自然地形の侵食谷
2007/01/22 撮影
今回は購入したばかりのデジカメのテストも兼ねている為、時間の割には全く先に進まず大高山のハイキングルートの入口に着いたのは既に12時40分。
「りゅうがい山」への分岐表示(少し先には小さな行き止まりの表示あり)に到着した時には午後1時頃。
この先にも巨岩や深いⅤ字谷ありと防御には事欠かない自然地形。
こうした自然地形のなどを撮影していたので、漸く「りゅうがい山」の山頂に到着したのは既に午後1時20分過ぎ。
途中、明らかに自然崩落と思われる竪堀状地形1ヶ所。
唯一「堀切」あるいは「竪堀」類似地形と推定できる地形が1ヶ所。
山側には堀切との比高差3メートルほどの巨岩があり、その上部からは堀切部分を睥睨するという位置関係。
堀切部分は細い土橋状の地形を形成し、南北方向には自然地形との区分が難しい竪堀状の地形を伴うもの。
特に北側は高さ10メートルほどの絶壁と自然地形のⅤ字谷につながっているため、そのトラバースは危険極まりなくほぼ不可能。
「堀切」に見えなくもない地形
2007/01/22 撮影
山頂自体は余り広くはなく現在は杉の植林のため視界が遮られているものの、本来は坂石町分の吾野周辺の集落を見通すことができるという本来的には眺望良好な地理的条件。
東側からの山頂
同上
標高354mの山頂から東側へとのびる平坦な尾根筋がとても気になったので、この際比高差60mと推定される急斜面の上り下りを敢行。(一番下の画像参照)
このとき摑まるものがなく、まず1度スライディングして空を見上げる結果に。
東側の尾根筋から見た
北側の急斜面
同上
残念ながら東側の尾根筋上では平場、堀切などの一切の人工地形の存在は確認できず。
唯一の成果といえば、降りるのも登るのも小さな岩場などが障害となり極めて大変な労力を伴うものであることを体感したことなのでありました。
その結果として「堀切」「腰郭」「竪堀」などの普請が全く不要であることも判明したという次第。
さて漸く何とか山頂へと這い上がり、「りゅうがい山」の北尾根中腹に所在するはずの「岡部屋敷」を目指すことに。
方位磁石と現地の地形を十分に確かめて比高差100メートルほどの下降を開始。
獣道さえ見当たらない杉の植林された斜面を下降中に先ず1度ズッコケ。
途中から杉の植林のため視界が利かないものの、上方からの地形判断により些か方向がずれていることが判明。
途中から西側へ50mほどトラバースして細い尾根上に僅かな人間の踏跡発見。
然し朝方までの雨のためたっぷりと湿った杉の木の根のため、ふたたび落ち葉の斜面にて自分の意思とは関係なくスライディングを敢行。
デジカメは背中のザックに収納し、両手を完全にフリーに。
かつ、危険作業用の特殊手袋を装着しあらかじめ転倒の準備だけは怠りなく怪我などは一切なし。
比高差で70mほど下降した時点で、いかにもそれらしい「平場」を確認。
東西方向約40メートル、南北方向約50mほどの殆んど平坦に規模で南側の尾根筋を除く三方の斜面には人工的な「切岸」が明確に存在。
南東部分の個所の平場がやや突出した形状でその個所に食い込む侵食谷の切れ込みが意外に深かったのが印象的。
さて此処から下るべき道が...ない。
岡部屋敷西側の切岸
2007/01/22 撮影
岡部屋敷中央部
同上
岡部屋敷東側の谷
同上
北側には国道299号線なども見えているので、西側の杉の植林されたやや開けた緩斜面を下降。
しかしもこのまま下ると高さ20mほどのコンクリート製の崩落防止施設の上へと出てしまう可能性が濃厚。
幸い途中で東側へ伸びる里道に突き当たったので渡りに船と東へ進路変更。
下りきった個所はなんと「中屋敷」と比定されている例の石垣のある畑なのでありました(笑)
この場所から上れば、「りゅうがい山」は別として調査時間を含めても往復1時間前後と判明したのは正しく後の祭り。
「中屋敷」とも
2007/01/22 撮影
さて、新しいデジカメについては、暗い個所では太い木に凭れて撮影するなどの工夫をしたものの、三脚を忘れてきたのが今回の最大の失敗。
全自動では肝心な個所にピントが合わず 、シャッタースピードが1/20秒未満の撮影では手ブレが酷いことも判明。
またプログラムモードでの撮影時にはストロボの光量も不足。
新しいデジカメの色々な特性を学習するよい機会なのでありました。
「岡部屋敷」とその背後の
「りゅうがい山」(標高354m)
それにしてもデジカメのテストと多少の難路があるとはいえ比高差にして僅か220メートルほどの小山に3時間30分(東側の往復分を除く本来の行程は約1時間半)も時間がかかるという情けなさに、あらためて心肺機能を含む体力の衰えを痛感いたしました。
昨日忘れた資料を取りに職場へ立寄ってからの出発。
このため、現地に到着したのは既に午前10時を大きく回っていた次第。
さて駐車場をスタートしたのは午前10時20分。
この段階で、探索時間は最低でも明確な遺構の存在する部分に限定して正味3時間を想定。
他に周囲からの遠景などの撮影に要する時間を考慮。
夕刻から別の所用もあり、午後2時過ぎには撤収を完了する計画にて。
結果的に笹郭周辺に時間をかけ過ぎたため、下山したのが午後13時45分で正味3時間25分(昼食抜きで)
このあと市野川の下流側から遠景を撮影し、更に、当時は天然の要害を形成していたと推定されている湿地帯の名残である「大沼」を訪れて、のんびりと泳いでいたカモを驚かせているうちに午後14時10分。
なお夕刻からの所用は正午過ぎた頃には、内心では半ば任務放棄しておりました(笑)
湿地帯の名残りの「大沼」
2007/01/13 撮影
最大比高差はおよぞ40mに過ぎないものの吉見丘陵の南端部分の崖地に所在。
かつては市野川の流れが吉見百穴の付近まで大きく蛇行しいてたこと、現在の「大沼」に至る北東部分の低地が湿地帯であったことなどを考慮すれば、現在のイメージよりも遥かにその要害としての機能がすぐれていたことが容易に想像できるのでありました。
撮影した画像は〆て147枚分と、過去最高を記録。
始めは無風の晴天にて。
しかし正午過ぎころからは「晴れ時々曇り」となり、時間の経過と共に「曇り時々晴れ」という空模様。
郭上では時々数メートルの北風が吹きつけ、この時点では命の次に大切な撮影メモが飛ばされそうな様相に。
さて土曜日で然もある程度著名な城跡ということもあり、在城中に合計5人に遭遇いたした次第で、これも過去最高記録にて。
そうしたなか70歳前後と思しき熟年のご夫婦から、崖下に所在する「岩屋堂」への道を尋ねられた。
こちらの位置は「二の郭」で向こうの方は「本郭」という位置関係。
このため、直線距離にして約25mほどの空堀越しの会話。
「足元」の問題もあることから、来た道を戻り階段を下りて北側の崖下へ向かうように伝達。
時折風が強いため、些かの怒鳴り声にて意思の疎通に成功(笑)
「本郭」南東部より「二の郭」
2007/01/13 撮影
「惣曲輪」西側の崖下りという手もなくはないものの、枯葉と凍結気味の岩場を含むため見た目よりは著しく危険。
とはいえ本人は念のため上下降体験を試行...上部の危険個所を過ぎれば下降も困難ではないものの矢張り余りお奨めはできないルート?にて。
仮に市野川沿いの難所と推定される崖下を無事に通抜けられたとして、この個所から狭い岩の間を這い蹲って攻め上るとすると、三方向から矢玉や石が降ってくるという仕掛けやも知れず...思わず4百年以上前の戦没者の霊に黙祷を。
「国の史跡指定」の申請がこの夏に予定される城跡ですが、各郭の上り下りは積もった枯葉と腐葉土と化した地面のために、通路部分とされている個所でもかつて整備された丸太の階段は腐食が進み足元は危うげ。
また逆に整備されすぎて「鉢形城」のような景観となるのも些か困りものに御座候。
3時間半の在城により中世城館の魅力を十分堪能させていただきましたが、体力の衰え顕著な我が身としてはもう膝がガクガクに(汗)
「春日郭」と「三の郭」の間の土橋
2007/01/13 撮影
このため、現地に到着したのは既に午前10時を大きく回っていた次第。
さて駐車場をスタートしたのは午前10時20分。
この段階で、探索時間は最低でも明確な遺構の存在する部分に限定して正味3時間を想定。
他に周囲からの遠景などの撮影に要する時間を考慮。
夕刻から別の所用もあり、午後2時過ぎには撤収を完了する計画にて。
結果的に笹郭周辺に時間をかけ過ぎたため、下山したのが午後13時45分で正味3時間25分(昼食抜きで)
このあと市野川の下流側から遠景を撮影し、更に、当時は天然の要害を形成していたと推定されている湿地帯の名残である「大沼」を訪れて、のんびりと泳いでいたカモを驚かせているうちに午後14時10分。
なお夕刻からの所用は正午過ぎた頃には、内心では半ば任務放棄しておりました(笑)
湿地帯の名残りの「大沼」
2007/01/13 撮影
最大比高差はおよぞ40mに過ぎないものの吉見丘陵の南端部分の崖地に所在。
かつては市野川の流れが吉見百穴の付近まで大きく蛇行しいてたこと、現在の「大沼」に至る北東部分の低地が湿地帯であったことなどを考慮すれば、現在のイメージよりも遥かにその要害としての機能がすぐれていたことが容易に想像できるのでありました。
撮影した画像は〆て147枚分と、過去最高を記録。
始めは無風の晴天にて。
しかし正午過ぎころからは「晴れ時々曇り」となり、時間の経過と共に「曇り時々晴れ」という空模様。
郭上では時々数メートルの北風が吹きつけ、この時点では命の次に大切な撮影メモが飛ばされそうな様相に。
さて土曜日で然もある程度著名な城跡ということもあり、在城中に合計5人に遭遇いたした次第で、これも過去最高記録にて。
そうしたなか70歳前後と思しき熟年のご夫婦から、崖下に所在する「岩屋堂」への道を尋ねられた。
こちらの位置は「二の郭」で向こうの方は「本郭」という位置関係。
このため、直線距離にして約25mほどの空堀越しの会話。
「足元」の問題もあることから、来た道を戻り階段を下りて北側の崖下へ向かうように伝達。
時折風が強いため、些かの怒鳴り声にて意思の疎通に成功(笑)
「本郭」南東部より「二の郭」
2007/01/13 撮影
「惣曲輪」西側の崖下りという手もなくはないものの、枯葉と凍結気味の岩場を含むため見た目よりは著しく危険。
とはいえ本人は念のため上下降体験を試行...上部の危険個所を過ぎれば下降も困難ではないものの矢張り余りお奨めはできないルート?にて。
仮に市野川沿いの難所と推定される崖下を無事に通抜けられたとして、この個所から狭い岩の間を這い蹲って攻め上るとすると、三方向から矢玉や石が降ってくるという仕掛けやも知れず...思わず4百年以上前の戦没者の霊に黙祷を。
「国の史跡指定」の申請がこの夏に予定される城跡ですが、各郭の上り下りは積もった枯葉と腐葉土と化した地面のために、通路部分とされている個所でもかつて整備された丸太の階段は腐食が進み足元は危うげ。
また逆に整備されすぎて「鉢形城」のような景観となるのも些か困りものに御座候。
3時間半の在城により中世城館の魅力を十分堪能させていただきましたが、体力の衰え顕著な我が身としてはもう膝がガクガクに(汗)
「春日郭」と「三の郭」の間の土橋
2007/01/13 撮影