本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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6月上旬以来訪城より遠ざかっております。
これだけ間隔があいたのはこの3年半間の間で初めてのことにて。
膝の具合もこれ以上は回復しない兆しが。
連続して30分以上歩くことができれば、大抵の平地の城館跡はクリア出きる筈かと推察。

身体機能がこれ以上大幅にダウンすることは避けなければならないので、杖を頼りに週末頃から少しずつ体を慣らしていく計画を考慮中なのでありました。
然したしか以前にも同じような独白をしていたような..

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本日は2名の精鋭による「川島町の平地の城館跡?めぐり」を敢行。
もとい、1名の精鋭(「直登」の儀一殿)と1名の足弱(某のこと)。
JA川島直販所にて、予定どおり午前10時30分に集合。
予定通りでなかった時には、結果的に上里方面にて接近遭遇した可能性も。

さて本日のコースの概略を確認後、直ちに探訪を開始。
とここまでブログを打ち込んで、なにやら1週間前の土曜日の再現ドラマのような展開に。


小見野氏館(川島町下小見野法鈴寺)
午前10時30分から11時00分

竹薮の中には確かに土塁、堀跡の遺構があるような印象。
そういえば、後日「古銭の呪」に祟られたメンバーががおいでになったという情報があったような..


境内のアジサイ
法鈴寺境内のアジサイ
2007/06/04 撮影



伝大串氏館(吉見町大串台山)
午前11時05分から11時35分

堀底の見通しはや竹薮の状態はさらに悪化しておりましたが、思いのほか薮蚊の襲撃は少なく一安心。
相変わらず堀底から見上げると威圧感のある堀の斜面。

しかし、堀底にて大きな熊蜂に遭遇。
一度は遥か遠くへと飛び去っていったものの、何故か戻ってきて某の後方1m付近でホバリング状態。
このため直ちに緊急脱出。
このあとひとしきり周辺の地形を確認し、2m弱の微高地に所在していることを改めて確認。


伝大串館の堀跡
伝大串館の堀跡
2007/06/04 撮影



伝大串館遠景
伝大串館遠景
2007/06/04 撮影


■伝大串氏宝篋院塔(吉見町大串、金蔵院)午前11時40分から正午

前回と同様に埼玉県指定文化財の宝篋印塔二体を見学し、あらためて保存状態の良さに感動。


岩殿山安楽時(吉見観音)午後0時15分から0時55分


吉見観音の三重塔
吉見観音の三重塔
2007/06/04 撮影


儀一殿が未訪とのことでとりあえず境内の裏山へ。
北側から西側にかけては急斜面の地形。
とくに北側の崖の先端部に明確な土塁状地形が所在。
焼失したとされる堂宇跡とも郭状の地形とも思われる遺構も所在。
また、西側の坂小口状の地形と見上げる切岸状の斜面ももなかなかの見ごたえが。

さらに東側の道路から北側の崖下へ回りこんで見上げた地形は要害そのものという印象も。
戦国期の松山城の攻防をめぐる情勢の中での関連遺構としての可能性などについて熱い意見を交わすことに。


曰ありげな斜面
曰ありげな斜面
2007/06/04 撮影


このあと、川島町の琴正庵(手打蕎麦)にて昼食を摂ろうと携帯で確認の電話を。
然し何と午後1時前という時間にも拘らず本日の蕎麦は完売とのこと。
このため厄除け団子2本という昼食のみで、このあとひたすら探訪を継続。


「厄除け団子」のディスプレイ
「厄除け団子」のディスプレイ
2007/06/04 撮影



道祖土氏館(川島町下八ツ林、善福寺)
午後1時15分から1時45分

前回は確認しなかった西側からの様子などを拝見。
あらたに北側の竹藪越しに堀跡も確認。


タチアオイ
タチアオイ
2007/06/04 撮影



尾崎遺跡(川島町美保谷宿)午後1時50分から1時55分

送電線の鉄塔の建設に伴う発掘調査により幅4m、深さ1.6mの規模を有する中世の堀跡が検出された個所。
現在堀跡などの遺構の存在を偲ばせるものはなく、見事な紅白に着色された送電線の鉄塔がどっかりと鎮座しておりました。


送電線の鉄塔
送電線の鉄塔
2007/06/04 撮影



太田道灌陣屋(川島町表、養竹院)
午後2時00分から2時30分

明治初期の絵図を参考に、外側の東西に位置する南北方向の堀跡のような用水路も改めて確認。
東側の稲荷神社裏手の堀跡状の地形については、儀一どのとの会話の中で外堀としての印象を強めていくのでありました。


三尾谷十郎広徳館(川島町表、広徳寺)
午後2時30分から3時00分

参道右側の石碑の影に惰眠をむさぼるネコさん一匹を発見。
いくら接近しても幾分薄目を開けようとするものの全く起きようとする気配は無く、石碑の冷たさが心地よいようでただひたすら昼寝に勤しんでおりました。


眠り猫
眠り猫
2007/06/04 撮影


同様に明治初期の絵図を参照しつつ、周辺の堀跡状遺構を中心に探索。
とりわけ、この時期ならではの北側の水田からの遠景をのすばらしさ堪能。


三尾谷十郎広徳館
三尾谷十郎広徳館遠景
2007/06/04 撮影



伊奈備前守陣屋(川島町立出丸小学校)
午後3時10分から3時30分

基本的に遺構が無いものの、明治初期の絵図にほぼそのままの形状で明確に描かれていることに感動。
門柱に刻まれた内容から出丸小学校が大正期の創立らしいことをそっと確認。


伊奈備前守陣屋
伊奈備前守陣屋
2007/06/04 撮影


ここでも周囲を時計の反対回りに一周して、最後はやはり恒例の出丸公民館の看板を撮影。


中山陣屋東側の用水路(川島町中山)

畦堀、近世の構堀、用水路のいずれか判断が難しい存在でありますが、写真の撮り方次第ではそれなりに趣のある景色になってしまったのであります。

怪しげな堀跡
怪しげな堀跡の遠景
2007/06/04 撮影



比企氏館(川島町中山金剛寺)

3か所纏めて徒歩にて城館跡周辺の様子を観察。
水を湛えた水田の風景を伴う城館跡?はやはり格別の観が。


比企氏館遠景
比企氏館遠景
2007/06/04 撮影



中山陣屋(川島町中山金剛寺)
午後3時50分から午後4時30分

今回は間違いなく「中山陣屋(秋元氏陣屋、川島町立中山小学校)」の石碑とともにあの著名な「文化財的な標柱」を速やかに見学。


「文化財的な標柱」
「文化財的な標柱」
2007/06/04 撮影



牛村氏屋敷(川島町上井草堀の内)
午後4時40分から5時10分

牛村氏の屋敷の区画がそのまま記された明治初期の絵図を参考に、中郭集会所の看板などを撮影して周囲を一周。


富田後遺跡(川島町上井草堀の内)
午後5時20分から5時30分

儀一殿の緊急提案により、既に発掘調査の終了した現場を訪れることに。
現地は既に建設工事が進み、圏央道の橋脚がどっかりと腰を下ろしておりました。
建設工事完成後に簡易な説明版ても設置してくれたらなどと語り合うのでありました。
うむ、これで城館跡1ヶ所ゲット(汗)


富田後遺跡
富田後遺跡
2007/06/04 撮影


本日は紫外線がやや強めながらも、時折心地よい風が水田を爽やかに吹き渡る気持ちの良い天候。
遅い時間にスタートしたにも拘らず事実上の昼飯抜きの強行軍にて13ヶ所の探訪を達成。
集合までに些か手間取りましたがとても充実した一日となり、あらためて同行いただいた儀一殿に感謝。

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本日は5名の精鋭による「川島・吉見の平地の城館跡?めぐり」。
もとい、4名の精鋭と1名の足弱(某のこと)に訂正。
JA川島直販所にて、予定より早めの午前8時40分に全員集合。
本日のコースの概略説明後、直ちに探訪を開始。


小見野氏館(川島町下小見野法鈴寺)
午前9時から9時15分

めぼしい遺構はないものの、精鋭の一名がとても貴重な発見を。
なお、本堂裏手の造成工事は建築確認の表示によれば本堂の建替えに伴うものとのことでありました。

伝大串氏館(吉見町大串台山)
午前9時20分から9時40分

竹藪中の年代不詳の堀跡状遺構は未だ健在。
些か薮蚊の襲来が懸念されたものの、虫除けスプレー散布のためかさほどの被害には及ばず。
前回訪れた冬場に比べると、さすがに堀底の見通しは悪化しておりましたが前日の雨にも拘らず堀底の歩行は可能でありました。

■伝大串氏宝篋院塔(吉見町大串、金蔵院)
午前9時45分から10時

通り道のため埼玉県指定文化財の宝篋印塔二体を見学。

伝源範頼館(吉見町御所、息障院)
午前10時10分から10時35分

年代不詳の堀跡遺構は勿論健在。
全員で一列縦隊にて西側から南側の堀跡を踏破。
館跡東側の用水路脇の路上にて、昨年暮以来となる鋭い眼差しの「黒猫」さんと再開。
眼光の鋭さは、さらにその磨きをかけた模様。


眼光鋭い黒猫さん
眼光鋭い黒猫さん
2007/05/26 撮影


御所陣屋(吉見町御所、横見神社)
午前10時40分から11時10分

不詳の堀跡状地形の東側の堀底に下りて微妙な曲がり具合を確認。
用水路でもなく、水害対策とも思えず意図不明な堀跡。
水田に囲まれたその景観は恰も浮城のようにさえ見えるのであります。


御所陣屋
御所陣屋(横見神社)
2007/05/26 撮影


このあと、川島町の琴正庵(手打蕎麦)にて早めの昼食。
参加者の皆さんには概ね好評で、世話人としては一安心。

道祖土氏館(川島町下八ツ林、善福寺)
午後12時30分から12時50分

戦国期の道祖土家文書で著名な旧家。
東側の構堀は最大幅目測三間以上で水を湛えて健在。
北側の構堀の方は足元に些かの問題があり先へとは進まず。

太田道灌陣屋(川島町表、養竹院)
午後13時05分から13時25分

堀跡か寺院の庭園によるものか不明の堀跡。
その外側の東西に位置する南北方向の堀跡のような用水路も所在。
前回はパスした太田氏関係の墓石も確認。

三尾谷十郎広徳館(川島町表、広徳寺)
午後13時30分から14時20分

往時の面影が色濃く残されていそうな北側の堀跡状遺構を中心に探索。
他の部分に比べて堀跡らしさが最もよく残されているという印象。


広徳寺北側の堀跡
広徳寺北側の堀跡
2007/05/26 撮影


伊奈備前守陣屋(川島町立出丸小学校)
午後14時20分から14時30分

基本的に遺構が無いため、出丸公民館の看板を撮影したりする謎の集団に変貌。

中山陣屋東側の用水路(川島町中山)
14時45分から14時50分

最大幅で2間、延長100mの規模の堀跡もどきは健在。
畦堀?用水路?排水路?屋敷の構堀?
いずれにせよ、やはり結論は持ち越しに。

そういえば昨年訪れたときには、近所の保育園児の「芋ほり」に遭遇。
子どもたちから質問攻めに。
とりあえず「お花」の写真を撮っているという説明で納得したもらった経緯が。

比企氏館(川島町中山金剛寺)
14時50分から15時05分

比企氏墓所前の空堀状地形。
北側の堀跡との位置関係から考えると、やはり館跡の遺構としては明らかに手狭であることを再確認。

時節柄、蛙さんとあちこちで遭遇。
寄ってたかっての蛙の記念撮影。
この堂宇前のアジサイにへばりついていたアマガエルは、時ならぬ訪問者にフリーズしていた可能性も。
その小さな背中に一抹の侘しさを漂わせていると感じるのは、やはり管理人の年代によるものでありましょうか。


アジサイとアマガエル
アジサイとアマガエル
2007/05/26 撮影


牛村氏屋敷(川島町上井草堀の内)
15時20分から15時40分

堀跡の名残と思われる用水路などが屋敷の東側に残る。
透明度不足気味の用水路に棲息する鯉は相変わらず元気でありました。


ゼニアオイ
用水路沿いのゼニアオイ
2007/05/26 撮影


..と、ここまでブログを整理していて、どうも訪城した城館数が足りないような気が..
な、何とここに至って「中山陣屋(秋元氏陣屋、川島町立中山小学校)」の石碑とあの「文化財的な標柱」の見学をすっかり忘れていたことにはたと気づいたのでありました(汗)
世話人としての不手際の段、平にご容赦を。

さて本日はお蔭様で天候の回復が早まり予想以上の好天に。
また由緒正しい歴史的遺構などとは無縁の所ばかりにてご無礼を。
初夏の風が田植えを終えたばかりの水田を爽やかに吹き抜けていったとても印象深い一日でありました。
ご参加いただいた皆様お疲れ様でした。
不慣れな世話人に長時間にわたりお付合いいただきましてどうもありがとうございました。

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美里町の川輪神社境内は不思議な地形が盛りだくさんで興味深い存在です。
下記の画像もそのひとつで、高さ1mから1.5mほどの古墳のような、塚のような地形。
中央部には近世から近代かけて流行した山岳信仰関係の石碑が奉納されておりました。


川輪神社境内の塚
川輪神社境内の塚
2005/05/21 撮影

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週末にミニオフのようなものを予定。
然し生憎の天候となる模様。
せめて午後くらいからでも雨が上がればよいのでありますが。

尤もおそらく構堀などには水が溢れている可能性もあり、それはそれで趣のある光景となるはず。
体のバランス感覚が著しく低下している昨今、水田の用水路などに落ちぬよう心して出陣せねば。


道祖土氏館東側の水堀
道祖土氏館東側の水堀
2006/10/13 撮影




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