本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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気がつけばここ数年の間悩まされ続けた花粉症に免疫ができた模様。
杉林の中やその周辺に6時間ほど滞在していたものの花粉症の症状は皆無に近く。

尾ノ窪城(群馬県藤岡市-旧鬼石町) 午前11時20分から11時30分
先日訪れたときに南側からの遠景を撮影し忘れたこともあり、麓までデジカメ画像撮影のため再訪。
しかしこの日も先日同様の曇天。
堀切や土塁などの地面の凹凸を撮影するには好都合。
その反面、山容などの遠景を撮影するには春霞とも重なって視界は絶不良。
加えて南北に細長い形状の尾根筋のためはっきりと確認できる構図が得られずじまい。
その代わりに、数日の間に梅の花が各所で満開に。

満開の白梅
満開の白梅

真下城(群馬県藤岡市-旧鬼石町) 午前11時40分から午後15時
昨今は心肺機能の低下が著しく、できるだけ楽な登攀を選択する習性が。
このため東側の尾根筋先端の神社まで車で登ることに。
幸いにして神社の先の送電線の鉄塔の所まで行けたので、比高差で約50mは楽をしたことに。

真下城遠望
真下城遠望

西側の竹林の奥の尾根筋が城跡のはず。
竹林の中に刻まれたV字状の山道は明らかに人工地形の印象。
途中の尾根筋に刻まれた山道も何やら城館との関係を暗示する形状。
一見すると枡形小口のような屈曲した地形、さらに尾根筋を南北方向に横切る堀跡のような山道、南北2段の平場から成る削平地のような地形等が出現。
その判断に戸惑いつつ見通しの全く無い峠道へと到着。

この地点からさらに距離にして100mほど尾根筋を登るとようやく縄張り図に示された地形と対面。
主要な郭は主郭を中心に東西に1か所ずつ並列。
東側の方形の郭は四方が空堀に囲まれた比較的珍しい構造。
加えて南側には規模の大きな2本の竪堀も。
地山の地形を利用した尾根筋を横断するように南北方向に穿たれた見事な2本の堀切は感動的。

西側の堀切
西側の堀切

さてうろうろと遺構全体を巡った所で、いくつかの疑問点が。
まず井戸跡とされる井戸郭の個所が殆ど防御のない城外ともいうべき西の外れに所在していること。
然も南側の尾根筋道経由で麓からは30分ほどで容易に到達できる位置にあること。
要約すれば西側のより標高の高い尾根筋からの攻撃を殆ど想定していないと思われること。
次に、主郭とされる最も規模が大きく標高の高い郭よりも、その東側の郭の方が遥かに複雑かつ堅固な構造を備えていること。

主郭西側の土塁跡
主郭西側の土塁跡


こんなことを考えているうちにあっという間に3時間以上が経過。
日没までの時刻と体力を勘案すると、本日もまた1.5ヶ所という結果に。

尾ノ窪城 午後15時20分から15時50分
午後になり次第に晴天域が広がり、春霞もいくらか希薄に。
再度遠景を撮影すべく、蜜柑畑の林道をロケーションしつつ登ることに。
あらためてじっくりと歩いてみるとそれなりの成果が。
どうにか2ヶ所ほど城跡が所在するはずの尾根筋を遠望できるポイントを発見。
かくしてめでたく蜜柑畑を前景とした何枚かの画像を獲得。

ようやく見つけた「尾ノ窪城」の撮影ポイント
尾ノ窪城遠望


讓原堀ノ内(群馬県藤岡市-旧鬼石町) 午後16時から16時30分
真下城に関係する居館跡の名残が地名として残るとのこと。
文明元年の紀年銘のある板碑の北側付近が該当地の模様。
山裾には櫓門を備えた旧家が所在。
いまの所では、その旧家と真下城との関係は不明のまま。

堀の内
堀の内

神流川に架かる神川橋の上から、そのうちに訪れる予定の暮れなずむ山谷を眺望。
当面はこのまま西方へと向かう基本方針を確認。
この暖かさで木々の芽吹きがすすみ、植生により異なるものの低山の山城はあと10日間程度。
標高の高い個所を選べば4月上旬くらいまではどうにかなるのかも。

神流渓谷の黄昏
神流渓谷の黄昏

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♪♪ 「春がきた、春がき~た、どこにきた~」「腹にきた、足にきた、脳にも~きた」♪♪ 

月曜日の振替休みを先取り。
曇天で春霞の陽気のなか、性懲りもなく群馬遠征の一環で藤岡市南西部の鬼石方面へ。
前日目覚ましは午前6時前にセット。
ところが前日就寝した時間はすでに午前1時過ぎ。
旅行帰りの家内の話を聞いているうちから既に目算に狂いが..

さて、目覚ましはしっかりと午前6時前に電子音を発信。
ふと目覚めたところまでは順調に推移。
しかし脇で「押しくらまんじゅう」状態で気持ちよさそうに微睡んでいる2匹のネコの姿がふと目に入り。
この上なく幸せそうな表情に加えかすかな寝息も耳に入り起こしては気の毒と思い。
少しだけのつもりで2度寝を決め込んだのが間違いのもと。

次に目覚めたのは、すでに午前8時過ぎ。
このような次第で、本日目標4か所の山城探訪には早くも暗雲が漂うことに。
加えて、途中で腹の具合が思わしくなくなり。
現地に到着した時点では正午過ぎとなり、急遽2か所に計画を縮小。
しかも最終的には1か所+アルファに終わり、右足首2回捻挫のおまけつきも(痛!)

昨晩はスタンドの電球が以前から眩しすぎるので、小さめの電球に交換すべく2階から下りた途端に、このことを頭から完全に消失。
しばらく思い出そうとするものの全く記憶が蘇らず。
再び2階へと戻り、しばらくHPの更新作業をしていてようやく思い出すという始末にて。

尾ノ窪城(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午後12時10分から14時30分
途中の未舗装の林道が思いのほかの難路。
オフロード用のモードを使用したのは今回が初めて。
普通車での登攀は常識的に考えると危険かつ無謀。
大型の四駆ならば登攀自体は可能かも。
しかも幅員が3mほどの個所もあり、谷側の路肩は余り強固とはいえない様子。
このため、峠の手前の平坦なスペースで駐車して徒歩にて探索開始。

元々桜山公園へのハイキングルートなので歩く分には極めて快適なルート。
しばらくハイキングコースを西方に進み一旦北側に迂回したあと、ハイキングルートに別れを告げて峠西側の標高409mの平坦な山頂へ。
平坦な山頂を縦断する整備された幅員2.5mほどの道を150mほど南進。
古い轍が残る林道はそのまま山頂の南側で大きく迂回して西方へと続いている模様。

城跡が所在するのは山頂から派生する一番東側の尾根筋の途中のはず。
ここで3千円で購入したスウェーデン製の方位磁石で方向確認。
およその見当をつけて、余り見通しが良いとはいえない杉の植林が残る尾根筋を南下。
もちろん道などは皆無で複数種の有刺植物と藪とのちょっとした攻防は不可避。
このため帰宅後の入浴中に、まじまじと己の手足を眺めると数か所ほどの擦過傷が。

城跡らしき地形は林道から南へ180mほど進んだあたりからようやく出現。
最初は埋もれた堀切状の地形。
次に尾根筋が一度細くなった先で最初の堀切と対面。
すぐに長さ10m足らずの小郭をはさんで主郭手前の大堀切が出現。
主郭側の堀切との比高差は6m近くで60度ほどの傾斜があることから直接這い上がることは困難。
もちろん西側から迂回が可能で探索には支障なし。

主郭の削平はかなり大雑把で平坦な個所はほとんどないような地形。
広さは幅6mから8mで長さ約50mほどの規模。
また主郭の東側には縄張り図には記されていない腰郭状の地形も確認。
堀切は全部で4か所ないし5か所。
そのいずれもが竪堀を伴わず、かつ堀切自体の長さが比較的長いという特徴が。
尾根筋先端の南東部には幾分平地に近い形状の小屋掛けするには適当なスペースが所在。

伝承である平将門の乱の際に追討側の平貞盛が築いたとの説は取りあえずは別にして、尾根筋の途中に築かれていることから南北朝期のものが戦国期に改修されたと考えるのが妥当なところかも知れず。
しかし約300mほどの細長い尾根筋を利用した小規模な山城であるため大勢の入城は難しく、山波川渓谷への侵入を監視するための物見としての役割として捉えるのが相応しい印象かと。

主郭北側の大堀切
主郭北側の大堀切


(仮称)東の峰(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午後14時30分から15時10分
尾ノ久保城の北東に所在する標高415m前後の平坦な山頂。
「三ツ山城の謎」を解明に関わりがあるかも知れないと以前から気にかかっていた場所。
峠部分からの比高差は70メートル前後。
厚曇りの天候のため、この時刻からもう一か所回るには微妙な残り時間。
城郭以降との関連がないことを確認することも必要と屁理屈をこねつつ、枯草と有刺植物に覆われた林道に沿って北側から迂回しつつ登攀。

なお、直登は崩壊中の斜面と藪の状況を見て即座に断念。
林道の途中からは多少の直登を覚悟していたところ、予想に反して林道は次第に高度を上げ山頂方面へと続いている模様。
こうした状況から見る限り、何某かの遺構の存在の可能性は完全に消失。

それでも余りにも不自然に平坦な広大な山頂付近の状況を把握すべく途中から近道をして山頂付近へ接近。
すると人工的な連続した盛り土の形跡が目の前に出現。
外側から見る限り高さ約2m前後で長さは50mほどの規模。
この地形を乗り越えてさらに進むと要するに馬蹄形の盛り土で囲まれた窪地が山頂の北東部に所在していることが判明。
全体としては起伏を伴うものの人工的な平坦地を含む連続した盛り土などが所在していることも確認。

東の峰山頂付近の地形
東の峰山頂付近の地形

林道自体は山頂の1比高差10mほど下方を西側から南側を迂回して東側へと抜けている模様。
このため、山頂付近の地形については産廃の埋め立てなど重機などによる地形の改変とは考えにくく。
ますます謎が深まる地形となってしまったのであります。

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またしても前日の就寝時間が遅くなり、家を出たのは何と午前9時20分。
本来の計画では4ヶ所程度を予定。
すでに出発の段階で1か所+アルファに計画変更するような始末。
単独行動は、どうもやたらに時間にルーズとなる欠点があるような。

浅間山(群馬県藤岡市) 午前11時30分から正午
以前から気になっていた地形のひとつで、宿神田の交差点北西に所在する比高差にして35m前後の半ば無名の丘陵。
山頂の思いのほか広い削平地には浅間神社の社殿が所在、北側の奥の院部分比高5mの独立した小郭状の地形。
勿論この殆どが神社の建設などに伴う人工地形とは思われますが、高山城、三ツ山城、平井城、平井金山城などが一望できる立地条件。
小規模な物見砦などの可能性を妄想するには相応しいのでありました。

浅間山からの眺望
浅間山からの眺望


なお社殿建立に伴う新しい石碑の碑文には、長井豊前守(長井政実か)が中興したと伝わる旨が刻まれておりました。
神社の中興が伝承のみとはいえども、当時の地域権力者として多くの所領安堵状などの中世文書が伝わることから、当らずといえども遠からずといった感を深めていくのでありました。

高山城(同上) 午後12時30分から午後17時40分
昨年末に初めて訪れたときには、同日の三ツ山城、子王山城、駒留城と山城3連発の直後の訪城。
このため登る前から全身疲労困憊状態。
朦朧とした意識の中で半ば本能で行動していたようなもの。
このため残存遺構、撮影画像、縄張りが頭の中で完全にバラバラ。

ゴルフ場の建設により遺構の一部が消失しているとはいえ、群馬県を代表する有数の城郭のひとつ。
HP掲載掲載にあたり、いまの状態では高山城と保存活動に尽力された方々のご苦労を考えると失礼極まりない認識レベル。

資料を揃えて来たるべく再訪の機会を虎視眈々と窺っていたような次第にて。
今回は前回の反省に立ち、踏査のためのメモをブロック別に準備。
天屋城についてはさらに各範囲を4分割。
問題があるとすれば、今回これに必要な時間的余裕と体力。
結果的には、やはりこれが最大の問題となってしまったのであります。

百間築地 午後12時30分から午後1時00分
僅かに残存する当時の石垣遺構。
複雑かつ規模の大きな空堀跡。
切岸による3段の構えを見せる郭跡。
これらをじっくりと拝見。

百間築地
百間築地と天屋城


本城 午後1時00分から午後1時30分
本城を東西に分ける堀跡。
東側の二本の深い空堀
これに挟まれた馬出郭と北端部の石垣遺構。
大手付近の地形。

要害山 午後1時30分から午後2時30分
幾分西側のルートをすすんだでみたものの、概ね予定通り土橋部分に到着。
空堀跡を全て踏査しようとも思ったものの、日没までの時間配分を考えれば無謀なので即座に断念。
ここで暫し縄張り図に記された以外の腰郭のようにも見えなくも無い尾根筋の地形を何度か往復。
この辺りから次第に時間が押気味に推移。

天屋城 午後2時30分から午後5時40分
踏み跡からひとつ西側の尾根筋目指して谷をトラバース。
取り付いた尾根筋にも本来の腰郭以外のそれと思われるような地形が。

天屋城堀切
天屋城堀切


主郭周辺では縄張り図に記されたとおりに主郭を取り巻く帯郭の配置状況をじっくりと確認。
実際に時計回りに歩いてみて、その複雑な縄張りの工夫に改めて感心。
なお、消失した東側の尾根筋方向手前部分にも腰郭のように思えなくもない地形が。
主郭南東の腰郭では一ヶ所ではなく上下2段の構成であることを確認。

この際、例の「洞穴」も確認。
入口は幅約2.5メートル、高さ約1.5メートル、奥行き約8メートル。
手前部分よりも奥の方が天井部分が高く2.5メートルから3m近く。
入口正面から見て右手の奥に幅1mほどのテラス状の地形も。
雑魚寝をすれば10人くらいは横になれそうな広さ。

主郭南東の洞穴
主郭南東近くの洞穴


もちろん肝心の5条の堀切も逐一確認。
尾根筋直下東側の帯郭もしっかりと確認。
しかし、下りてきた落葉の積もった急斜面を這い上がれず。
やむなくひとつ南側の堀切脇から這い上がる羽目に。

このあと最南端の2重堀切まで移動。
しかし、この時点で時刻は既に午後5時5分過ぎ。
いまだ確認できていない事項も幾つか残存したまま。
とはいえ、日没時間が幾分遅くなったとはいえ、沈み行く夕日は既に山入端にかかり始め。
小走りに主郭まで戻り、そのまま腰郭の続く尾根筋を木の枝に掴まりつつ降下。

比高差が300m以上の場合ではこうもいかず。
幸いにして腰郭先端部分からの比高差は100m前後で見通しもよく。
目指すは平井金山城が所在する北西方向なので間違いようも無く。
ゴーグル、ヘルメット、作業用手袋の完全装備にて。
2回ほど滑りながら、愛車のところへ戻ったのが午後5時40分。

黄昏時の百間築地と平井金山城
黄昏時の百間築地と平井金山城



帰路、以前から気になっていた「かつや」にて、「カツどん」(松、税込み829円)で夕食。
ボリュームとしては満足。
然しそこそこ歩き回ったこともあり、どうも塩分が物足りないような薄味の印象もなくはないようにも。

「カツどん」(松)
カツどん(松)

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本日はお日柄もよく..もとい、仏滅にございました。
お日柄に関係なく休みが取れたので再び藤岡方面へ。

前日までの予定では「平井金山城」(予定は3時間)「高山城」(同4時間)の再訪+アルファという目論見。
しかし大方出来上がっていたはずの「八束城」の更新が予想以上に時間を浪費。
このため前日の夜、というよりも本日の深夜午前1時半までコツコツとHPの更新をする羽目に。
事実上は半分以上寝ていたような状態にて、何をしたのかもよく覚えていないような次第。

それから、遅いネコの食餌の支度やらトイレの片づけなどに着手。
かくて、ようやく睡眠体制に突入したのは午前2時過ぎ。
それでも、いちおう目覚ましは午前6時前にセット。

最近は歳のせいか朝の目覚めだけは早くなり。
目覚ましの鳴る前に目覚めて、目覚ましのアラームをOFFに。
しかしここで、現在の己の体力と往復の運転時間の疲労などを勘案し再びまどろみの態勢。

こうした至福の時間の経過はヤケに早いもので。
あっという間の午前7時過ぎ。
こういうときだけ頭の中では梗塞..ではなく、高速回転でスケジュール調整しつつ、手早く身支度を整え出動態勢完了。
昼食時間などを短縮し、かつ「平井金山城」の目標を絞り込めば、計算上はギリギリ間に合うはずかと。
仕事こそ、かくあるべきと思うのでありますが(汗)

しかしここで突如最近会話の少ない配偶者の愚痴を聞くという羽目に陥ることに。
「熟年〇〇」だけは避けねばならず、相槌を打ちつつ一通り話を聞いているうちに時刻はすでに午前8時半。
この時点で綿密なるスケジュールはすでにガラガラと物凄い音をたてて完全崩壊。
それでも、この時間帯下り方面は比較的道路事情がよく、午前11時前には現地へと到着。


平井金山城(群馬県藤岡市)午前11時15分から午後16時15分
平井城の笹曲輪を南北に分断道路を右折。
懸案の一つである大手口とされるカロウト岩付近の様子をゴルフ場の麓から再確認。
すぐさま平井金山城南側の駐車場へ移動。
前回と全く同様のルートで登攀開始。

前回と異なり石垣遺構紛いに気を取られることもなく、行止りの道に迷い込むこともなく、ただひたすら物見台まで登るならば20分位で上がれる...かと思いきや、優に30分以上を経過。
この時点で己の体力・心肺機能などを考慮して、「高山城」の再訪は次回先送りを決断。
そのかわり納得のゆくまで「平井金山城」を踏査することに予定変更。

まず前回は見落とした縄張り図に記されている腰郭すべての状況確認。
次にゴルフ場建設により大方消失したものと目される尾根筋の現況確認。
そしてカロウト岩の尾根筋に関する詳細な再踏査。
高山城、平井城との相互位置関係などの確認..
などというと大袈裟に過ぎまするが、早い話がすぐに息が切れてしまうために思い通りに早くは動けないというだけの事情にございまする。

カロウト岩の謂れ
カロウト岩の謂れ


結局のところ尾根筋の移動時間を含め合計5時間の在城。
この結果、最近とみに記憶力の減退が顕著にございまするが、只今のところは頭の中に縄張り図の概略がぼんやりと浮かび上がるのであります。
今のうちに早く更新せねば...

それにしてもカロウト岩の付近では何度も滑落。
幸い露岩の上では何事もなく。
無論比高差20m近い岩の上から滑落すれば、今頃は凍死しているやも知れず。

余り人が訪れない尾根筋のため、とにかく枯葉が物凄く。
足首まですっぽりと沈み込む個所もあれば、恰もセカンドペース滑り込み状態となる個所も少なくなく。
枯葉の積もった斜面では確実に2回ほど完全なるスリップ・ダウン。

櫓台付近の石垣
櫓台付近の石垣


そのうち一回は危うく一眼デジカメと崩落した石垣が激突寸前に。
運良く?左腕でカバーして、左腕が崩落した石垣と激突。
しかし、めっきり衰えた体の中で手首から肘までの部分だけは左右ともに頑健。
昨年の夏には、すれ違った車と接触しても全く大事なし。
このほかにも転倒寸前が5回ほどあったものの、悪運強く大事には至らず。


鮎川城(同上)午後16時40分から17時まで
夕方の好天というのは実に有難く、夕闇せまるこの時間でも平地の城館跡ならば何とかなるようであります。
城館跡には中世からの旧家の系譜につながると思われる民家が点在。
東側の堀跡と思われる水路沿いには高さ1メートルほどの土塁跡も所在。
道路の脇から拝見していると、奥の方から黒い大型犬が物凄い勢いでこちらに向かってダッシュ。
盛んに吠えまくり、番犬としての役目を忠実に果たしておりました。
このあと道路沿いの城館跡を南北方向に分断している2mほどの河岸段丘状の地形を確認して概ね調査終了して本日の数合わせに成功せり。

鮎川城
鮎川城



平井金山城ではセーブオンで購入した稲荷ずし3個セット、おにぎり2個を時々頬張りながらの移動。
先日、藤岡市内に見かけた「とんかつ専門店」があれ以来どうしても気になり、幾分早目の夕食を摂ることに。
この際、記念写真を撮影すべくデジカメを用意。

しかし、本能的に空腹の意地汚さが芸術的感性を打ち負かし。
ふと気がついてみると、既に新鮮野菜サラダを半分近く食べ終わっているのでありました。
なお、かつ重の陰に恥ずかしそうに隠れている品目は漬物とデザートの杏仁豆腐の小鉢にございまする。
お値段は税込み1050円でヒレかつ2枚なので概ね妥当なところかと。

かつ重(竹セット)
本日の夕食 かつ重(竹セット)

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本日は5時起床。
目覚ましの鳴る前に2匹のネコたちに起こされ既に覚醒。
日の出前の午前6時、モナー殿と本川越で待ち合わせ。
その後は、一路合流地点に設定した秩父市(旧吉田町)「道の駅龍勢会館」へ。

その少し手前で朝食確保のためコンビニへ。
そこの駐車場にて奇しくも史進殿にパッタリ。
日曜日とはいえ厳寒季早朝の道路事情はガラガラ。
かくて幸先よく、この時点でスケジュールは1時間の前倒しに。


寺山砦、天徳寺(旧吉田町)午前8時から午前9時30分
3年前の目印の黄色いテープは未だ現存(嬉)
謎の平場も健在。
尾根筋は植林間伐で少しだけ歩きにくくなったのかも。
郭の規模に比して異常に大き過ぎる2重堀切も現存。

日当たりのよい南端の腰郭にてコンビニで購入した小さな稲荷ずしの各1の配給。
この場所から無理すれば降りられなくもないような。
無論、滑落・転倒2回+荊による負傷程度は不可避かと推察。
1か所目ということもあり、管理人含めて賛同者は出現せず安全に往路にて帰還。

寺山砦の堀切
寺山砦の堀切


竜ヶ谷城(旧吉田町)午前9時45分から午前11時
予定通り南東の給水タンクの個所から尾根筋を直登。
伐採されたばかりの3年前に比べて幾分木々が成長。
このルートもあと数年経過するとかなり分かりにくくなる可能性も。

尤も北側の舗装された林道から降りてくれば比高差は限りなくゼロには違いなく。
「吉田の楯」の比定地としては、普請、縄張りの完成度にやや疑問が残るという感想は衆議一致の模様かとも。
ここでまた、荷物の軽量化と小腹の足しにコンビニのハム野菜サンド各1枚などが配給。

竜ヶ谷城堀切
竜ヶ谷城堀切


秩父氏館(旧吉田町)午前11時10分から午前11時30分
始めに南側の対岸から台地を眺望して地形の概要を把握。
続いて小学校などの敷地となっている城館跡へ。
不審者と間違われないように笑顔で説明坂を拝見。


小暮城(旧吉田町)午前11時45分から午前12時30分
今回が3度目の管理人。
郭内は藪に覆われイバラと湿地帯(池)のトラップも各所に。
このため郭内東側は未踏のまま。

小暮城付近より寺山砦方面
小暮城付近より寺山砦方面


衆議の結果、全員一致で直進藪潜り探検隊に変身。
行く手をふさぐ倒木、枯枝、体に絡み付く蔓などと激闘。
この結果通常ではなかなか拝見できない高さ2メートル前後の土塁遺構ともご対面に成功。
池ポチャを避けるべく、土塁上を東へと移動。
ほどなく元の通路へとどうにか無事に到達。
ただし、管理人は枯枝と額が少しだけ接触(痛)

小暮城土塁跡
小暮城土塁跡


この際ついでに、搦め手と思われる東側の踏跡を降下。
小口状地形、麓の井戸跡と石塁らしき地形などを確認。


奈倉館(小鹿野町)午後12時45分から午後13時10分
川沿いに石塁が残る館跡。
昨年の春に建てられた館跡であることを示す木柱。
この時間帯しだいに雲が厚くなり始め、そのうち両神山方面は完全に雪雲の中。
平地でも白いものがちらほらと舞うような天候に変貌。

奈倉氏館
奈倉氏館


(昼食) 「わらじかつ丼」  これはまさしく超お値打ち価格!
       カツ2枚+味噌汁ほか2品付でたったの800円!
   国道299号線埼玉県秩父郡小鹿野町泉田交差点北東角
   店名は「元六」、駐車場約20台、本来は「蕎麦、うどん」がメインメニュー

「小鹿野名物-わらじかつ丼-」
「小鹿野名物-わらじかつ丼-」


比丘尼城(旧吉田町)午後14時10分から14時15分
メンバー全員が高カロリー食品を摂取したところで、崩落の跡さえ垣間見える完璧な絶壁見学へ。
眼前に聳え立つ余りにも険阻な光景。
些か力なくニヤニヤしてただひたすらデジカメ撮影に熱中する挙動不審者の集団。

見るだけの比丘尼城
見るだけの比丘尼城


もちろん「ただ見てるだけ」の予定行動にて。
それでも、日常生活ではあまり縁のない「生命の危機」という概念が各人の脳裏を悪夢の如く去来したのかも知れず...無論かなりの確率で生命保険免責に相違なく。


田村屋敷(秩父市)午後14時30分
以前仲良くなった白黒プチの雄猫の姿は見えず。
民家脇の土塁跡は3年前とほぼ同様に健在。

萩平の遺構(秩父市)午後15時から午後15時20分
日没までの残り時間を計算。
通り道のため、やや城郭とは断定しづらい趣も漂う荒川左岸の謎の遺構にも立ち寄ることに。

諏訪城(秩父市)午後15時40分から16時40分
まずは遠景撮影ポイントの荒川に架かる和銅大橋上から眺望。
諏訪城北側の先端部同様に、大型車の通行の度にこの橋もよく動揺

和銅大橋より
和銅大橋より


土塁推定遺構の一部を現在掘削中という衝撃的な光景を目撃しやや心が動揺
予定どおり先端部にてのジャンプ。
無謀なる体験者2名は確実に身も心も動揺。
ジャンプなどしなくとも先端部は強風を受けて微妙に動揺

諏訪城の先端部
諏訪城の先端部


おまけに諏訪城西側の「諏訪城まがい」へ。
このあとさらに荒川右岸の河原へと降下。
残雪と氷が混じった浅瀬から諏訪城の景観を暫し堪能。

荒川の河原より
荒川の河原より


(本日の打上げ)⇒千馬山城のシルエットが望める皆野町のガストにてパフェを貪り喰う正体不明の男3人

本日は季節柄寒いことだけは確実な気象条件。
路面凍結も危惧される道路事情。
行先は管理人としてはすべて再訪。
何よりも日増しに衰えを感じる己の体力。
できれば比高差が少なく、それでいて秩父方面の山城に行ったという感触を共有したいとの密かな目論見も。
このような管理人のプランにも拘わらず、快くご賛同いただいたモナー殿、史進殿のお二人に心より感謝m(__)m

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