本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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11月16日の土曜日に所要のため都内へ。
少し時間があったので、かねてから予定していた北の丸公園付近を散策。
本丸方面まで足を伸ばすつもりが、残り時間の関係で千鳥ヶ淵と清水門付近の観察だけで終了してしまった。
田安門方面は、ただ今全面改修中のため工事シートが掛けられていました。
清水門付近も清水建設が一部改修工事中。
清水門付近でも石垣の中段付近が、やはり幾分せり出し気味の模様。
画像は、千鳥ヶ淵から半蔵濠越しに眺めた国会議事堂方面の景観

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史進どののお誘いで、約2年ぶりの城郭探訪。
昨年一年間は、原因不明の目眩の連続。
今年に入ってからは、これにともなう運動不足と加齢による極度の筋力低下が顕著に。

とりわけ当方の足回りの老朽化は著しく、もはや慢性となった右膝痛+腰痛+右足首筋肉痛に加えて、再発した目眩+風邪気味という体たらく(>o<)


菅生城 常総市 8時00分から9時00分
 
 約5年ぶりの再訪です。
案内板が新らしく設置され、周辺の農道や排水路整備もかなりすすんでいましたが、屈強な藪は相変わらず健在でした。

内守谷城 9時15分から9時35分
 菅生城の東方の台地ですが、水田などの湿地帯に阻まれ、ぐるっと大きく迂回しないと辿り着けないというこの辺り独特の地形的な特性があります。狭い農道をすすめば真っ直ぐに行けなくもないのですが、雨続きだったために路肩が軟弱なのと、車のすれ違いが難しいので安全策をとりました。
肝心の遺構はあるようなないような、この地域に多い平坦な舌状台地が広がっておりました。
 

羽生館 10時から10時30分
 鬼怒川の西の法蔵寺の所在する独立丘陵が城跡と推定されています。遺構自体は微妙です。このあとはひたすら北上してつくば市方面へ移動。
 

手子生(てごまる) つくば市 11時30分から12時30分
 
 主郭とこれに伴う水堀と土橋、掘跡、土塁等が残存しています。城跡の石碑もありましたが、低湿地のため地盤が軟弱で、土地改良の記念碑と思われる立派な石碑が、先年の大地震で倒壊しておりました。

栗崎城 13時00分から14時00分
 
 正福寺境内北側に明確な土塁遺構が残存していましたが、現在は震災に伴う本堂の建てかえ工事等が進行しているため、城郭遺構の保全は風前の灯火かもしれません。上手くいけば、北側および西側斜面中腹の帯郭とこれに伴う部分的な土塁の方は残されるかも知れません。
 

吉沼大坪館 14時10分から14時40分
 栗崎城の東側の谷津を挟んで北側に張り出した台地先端部に所在しています。
 低い土塁が存在しましたが、南側方面はお馴染みの竹藪が障害となり行く手を阻んでおりました。

吉沼大祥寺城 14時50分から15時15分
 大祥寺北側の山林の中に謎めいた大規模な堀切地形と周辺の切岸地形等を確認できますが、城郭の範囲を含めて判断に迷う部分がありました。

館宿城 15時20分から15時30分
 城域の東側は宅地化されていましたが、史進殿の探索によりますと、西側の斜面中腹に帯郭状の地形が見られたとのことです。なお、この部分が伝聞調となっているのは、僅か幅1メートルほどのコンクリート製の水路を飛び越えることができなかったという実に悲しい事情がありました(>o<)

吉沼笠根城 15時40分から16時00分
 台地全体で北側の低地を意識して城郭を形成しているようですが、そのほとんどが宅地内であるため確認は困難です。この城館を含む吉崎地区の城郭は、仮に同時代に存在していたとすれば、恐らくは、栗崎城に関連する寄居であった可能性も考えられますが、今後の検討課題です。

本日は、合計で1万7100歩あまり。始めは左膝に軽い痛みが。最後は、やはり左足首の筋肉痛に
なりました。
このような年寄りにお付き合いいただいた史進殿に深謝。


 
 


 
 

拍手[2回]

すでに先週13日の土曜日に工事の完了等に伴う立会検査を実施。
今週はダメ工事などの指摘事項を粛々と遂行。
本日は敷地の凹凸の調整、外構フェンスの補修、室内の微細な傷の修復、フローリングのワックスがけなどが実施。
かくて予定通り明日は、めでたく完成物件の引き渡しに。

明日の午後からボツボツと新郭への引越し作業を実施する予定。
まずは、先日購入しておいたLEDシーリングライトの取り付け作業が。
問題は昨今の腰痛、眩暈、足のふらつきなど数多の体調不良状態。
尤もどのみち隣の家に移動するだけなので、概ね今年中に作業を完了すればとくに問題なしかと(苦笑)

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週間天気予報では、今日が一番暖かそうな日。
それでも朝方は寒く、家を出たのは午前7時から遅れること40分。
未知の山城の方は、未だに五十肩が治らず敬遠を。
このほか左腰の腰痛はホカロンで対処し、首の痛みはほぼ慢性化傾向に。
さりとて全くの平地というのも、この時期にしては些か味気ないような。
という訳で、10日に続いて群馬県富岡市方面へと出動。



田篠の内出(群馬県富岡市、以下同様) 10時50分~11時20分
最近オープンした最寄りのホームセンターに駐車し、徒歩にて現地へ。
鏑川と雄川に挟まれた合流点付近に所在。
大島下城と同様の立地条件ですが、確認できるような遺構はほぼ無く、その現況は集落と寺院の境内という事前情報。
それでも一応念のために河川の合流点付近、真言宗慈覚寺境内(参詣者用駐車場有)、中打出との地名が残る辺りを散策。
当初の予想通りとはいえ、それにしても何もない(笑)
遺構ではありませんが、寺院境内を含めて集落内には川原石を使用した石積み造成が散見されました。
そのまま徒歩にて次の目的地へ。


星田城 11時40分~12時00分
国道254バイパスの下を潜って城跡へ。
途中「城下公園」を発見(苦笑)
城下があるからには城跡があってもよさそうなものですが、ここは城下の地名のみという塩梅でした。
星田城の方は、鏑川と高田川によって削り取られた断崖を有する段丘の辺縁部に所在しています。
「城下公園」からも崖線部の断崖は明確に目視できました。
また資料によれば、以前は崖線部に相当する南側を除いて周囲を土塁がめぐっていた模様です。
しかし現在では北側土塁の西辺部と小口跡が確認されるのみです。
東側および北側東辺部の土塁は耕作等により消滅していましたが、それでも土塁跡基底部にその名残を感じとることができました。
星田城の土塁
星田城の土塁 


十王山烽火台 12時45分から13時10分
この場所も駐車スペース情報が未詳のため、最寄りのホームセンターに駐車。
高田川沿いの市道を北上すると、ほぼ正面に如何にもそれらしい地形の丘陵が目につきます。
麓からの比高差は凡そ70m前後というところでしょうか。
そのまま車道に沿って迂回路を進むつもりでしたが、斜面に刻まれた九十九折りの道を発見。
約10分前後でベンチの置かれた烽火台に到着。
南面の富岡市内方面は綺麗に伐採されているため絶好の眺望を得ることができます。
富岡城の烽火台とも伝わりますが、富岡城との間には小ピークが介在し直接視認することはできません。
また本来は尾根筋沿いに富岡城と連絡をとることも可能でしたが、道路の新設工事により尾根筋は分断されました。


黒川城 13時50分から14時20分
「城郭大系」等の記述によれば、既に遺構は消滅したとのことです。
然し現地には櫓台状の地形、堀跡・帯郭の残滓、切岸などを目にすることができます。
一時耕地化されていたこともあったようなので、多少眺望に期待が持てましたが城跡からの眺望は皆無に近いものがあります。
なお、尾根筋上部にも、一部小口状の地形を伴う土塁状の地形が確認されます。
墓地の設置に伴うものとも推定されますが、悩ましい類似地形でした。
なお、城跡への道筋は南側の不動尊側から登る方法と南東側の小祠側から登る方法があります。


駐車場所に戻った時点で、時刻は未だ午後2時30分を回ったところ。
日没までの時刻と天候を勘案すれば、あと1か所程度は回る余裕のあるところです。
しかし、昨今の体調と加齢などを考慮して本日の訪城を終了。
〆て1万3400歩余りで歩行距離は僅かに約10kmほど。
この辺りが分相応の運動量なのかも知れません。
年内の行動は今後の天候、体調、気力次第というところです。

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集合時刻は旧吉井町に8時30分の予定。
土曜日とはいえ、片道約90kmなので通常ならば午前6時出発で間に合うはず。
前日からの本格的寒波襲来による路面状況等を勘案し、念のために早めの日の出前の午前4時30分に自宅を出立。
このため途中トイレに立寄ったものの、集合場所への到着時刻は、何と2時間前の午前6時30分。
エンジンを停止し駐車場で待つこと1時間後、車内の室温は摂氏5度まで低下(笑)


■吉井陣屋武家長屋ほか (旧吉井町、現高崎市吉井) 8時30分~8時40分
移設された陣屋門は有名ですが、長屋が残っていることは余り知られていないようでした。
折角の機会でしたので一同で見学に。

根古屋城(富岡市、以下同様) 9時00分から9時15分
昨年末に続き3度目の来訪。
2の郭の耕作地に冬枯れの農作物がのこり、やや画像撮影に難が...
今年は本格的な寒波の到来が遅いらしく、やや冬枯れの雑草なども目立ちます。
それでも浅間山が真っ白に冠雪し素晴らしい眺望を見せておりました。
また、本日は風も弱く絶好の訪城日和かと。

富岡城 9時45分から10時30分
道路の新設工事に伴い、昨年発掘調査が実施。
道路工事の方は路盤整備などの真っ最中でした。
主郭相当部分、堀切状地形、切岸、腰郭状地形などは残存していましたが、全体としてやや明確さを欠く印象が残りました。
また発掘調査資料などによりますと、堀切3条、郭3か所などが消滅したもようです。

丹生城 11時15分から13時05分
掌の形状にも似た丘陵地帯に築造された山城。
持参した縄張り図等の資料と現地の地形が詳細で不一致。
この段階で独自の縄張り図ないし俯瞰図の作成を断念。
城域も広大であり、堀切、竪堀、城道なども想定以上に複雑。
最低でも1日程度を要して踏査しない限り、遺構の全容を把握できないことが判明しました。

反生城の堀切

丹生城の堀切

西平城 13時50分から16時00分
当人は本来のルートを登攀したつもりなのですが、現下の脚力の低下現象を思い知らされました。
枯葉+湿った斜面は予想以上に滑りやすく、馴れている筈の個所でも2度ほど尻餅をつくような始末で(苦笑)
前回同様、日没までの残り時間もさることながら、下段の腰郭の詳細を踏査する気力は喪失しておりました。
比高差は少ないものの、ある程度急峻な山城であることの傍証でもあるようです。
また、隠れていた山城を楽しんでもらえたことも収穫のひとつです。

大島下城 16時25分から16時45分
ここも2度目の探訪です。
本日は好天でしたが、すでに訪れた時点で日没間際。
耕地に積まれた2段の石塁と民家周辺の土塁も健在でした。
帰路はすっかり日没となり、寒さもひとしおに。
駐車場所の公民館までの道程の長かったこと。

この日の歩行距離は約15.46km、22,097歩。
今シーズンに入り、脚力の低下現象の著しい管理人。
普通に歩いている筈なのですが、自然と集団から脱落していく管理人。
ご同行いただいた武蔵直登のメンバーに、常にご迷惑をおかけすることこの上なく...
この分では道の無い山城の最後となるやもしれず(苦笑)

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