本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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昨日の歯医者までの時速6kmほどの足歩の影響だろうか。
朝方の未明に痙攣発生。
15年ぶりとなる右膝関節の不具合が再発していることにより左足に負荷がかかったらしい。

脹脛の痙攣には長年の付き合いなのでかなり慣れている。
しかし太股の痙攣については記憶の限りでは5年ほど前の新潟以来かと。
脹脛の方は慣れていることから痛みの症状緩和がある程度は可能。

一方太股の方はといえば全くの無策でただ只管に痛みに耐えるのみ。
まして就寝中の発生は記憶の限りでは初めてのように思う。
起床後は取りあえず湿布処置でできるだけ安静を維持。
このため本日予定していた皮膚科への通院は後日となった。

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この日は転倒こそしなかったものの、久しぶりに右股関節に激痛発生。
場所は近所のスーパーでのレジ前にて。
さらにこれに加えて右足の膝関節にも激痛発生。
どうにか痛みを堪えつつ支払いを終え、出入口付近のイートインコーナーにて暫時休憩。
この時点では激痛はあくまでも一時的模様。
とりあえず歩行自体にはそれほどの支障は無く、心筋梗塞、脳梗塞などに起因するものでは無いものと思われた。
しかし、その後自宅到着後に同様の激痛が少々間をおいて2度ほど再発。
このため昨年末の右足首捻挫の際の処方薬である痛み止めと湿布にて対処。
何時もは右側の体側を下にするところ仰向けの姿勢を保持して就寝。
一昨日のけが人の保護といい、非日常的な事柄が重なる日々であった。


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この日は午後から少しばかり様子見を兼ねて2万歩ほどのウォーキングをするべく自宅を出発。
住宅内の生活道路を出てバイク自転車を除く一方通行の道路を北へと向かった。
すると郵便局のバイクすれ違ったところ、急にそのバイクが元来た道を何かを探すかのように戻り始めた。
はて何かの落とし物だろうかと訝りながら歩いていくと、約10mほど前方に何やら黒い物体を発見。
よくよく見てみれば、何と人がうつ伏せに転倒。
第一発見者は郵便局の方であるのだが、現場にはほぼ同時刻に到着。
直ちに年配と思われる男性の様態を確認。
L字側溝の段差により転倒したもようで、顔面から出血しているものの意識はある。
自宅は近いとはいうもののの、顔面の裂傷でもあり発見者両名協議の上救急搬送を依頼。
この間暫定的に要保護者の安全を図り現場の交通整理等を実施。
救急車の到着までは凡そ十数分ほどか。
かくして兎にも角にも救急隊に後事を託して人としての最低限の義務を履行。



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(メモ)
諸般の事情によりここ暫くは自重していたウォーキングを徐々に再開。
先月末に一日に累計3万歩ほどを歩いた程度なのに左足の第5指にマメ発症。
何時ものことではあるが、これを庇うべく局所的にテープで養生。

然しこれが却って左足裏全体のバランスに影響した模様。
この状態を庇うべく伸縮包帯でカバー。
すると今度は佩用している靴との相性に支障が発生し左の甲に違和感発生。
この痛み(疼痛、必然的に足の動きが停止、ただし一時的症状の反復)は記憶の限りでは初体験かと。
その後色々と靴下の種類、履き方などを試行したものの改善傾向は無し。
現在のところは医療用シップで対応中。

今のところ冷静に考えれば、どうやら少なくとも連続して1万歩を歩くというのは困難なのかもしれないようである。
昨年11月に1日6万歩超えが可能であった日々が遠い昔のようにも思えてしまうのであった。

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本日は皮膚科の通院日。
年末に予定していたクリニックなのだが、院長の入院により休診が続きこの日の診察。

自宅周辺では夕刻日没前後辺りから気温低下と暴風が吹き荒れるという予報。
然し、天候は帰宅途上の午後4時前頃から急変。
急激な気温低下と北西の暴風の洗礼を真面に受けることとなった。
自宅までの残りはあと約6kmの距離と雖も、何一つ遮るもののない関越道の側道沿いを風速20m超の強風を背に受けていた。

体感気温は経験上では0度前後かと。
勿論防寒対策などだけは抜かりなくザック内に防寒着、防寒手袋、防寒帽子一式(たぶん氷点下5度くらいまで対応)を携行。

尤もこの時の誤算といえば耕作地から舞い上がる砂塵の防塵対策であった。
埼玉のこの辺り地域限定の春先に見舞われる大砂塵である。
とにかく真面に目が明けられないほどの砂塵なのである。
平地林の防風機能、風向きなどを勘案し最短ルートにての帰宅となった。

この砂塵については、本来の赤土土壌に加え今季の著しい雨不足、長年の耕地の化学肥料過多などによる無機質化も背景にあるものと推察。
50年ほど前頃はこの辺りの耕地では小麦等を栽培している事例が多かったように記憶。
しかし今では一部の野菜畑を除くと休耕地同然とういう有様。
このため2月末頃から4月初め頃には砂塵で太陽が霞むほどの空模様となるのである。
それでも1月のこの時期に暴風と大砂塵に見舞われることは予想だにせず。

無論荒天時に好き好んで徒歩移動しているような人間は稀有の様であるらしく、自宅までの行程では誰一人として歩行者に出会うようなことは無かった。
今度通院する折には防塵ゴーグルも用意せねば、と痛感する次第であった。

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