本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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ようやく燃料満タン。
天候もまずまず。
加えて計画停電も中止...それにしても妙な表現かと。
かくて世間に申し訳ないと思いつつも、午前6時40分過ぎに自宅を出発。
ようやく3度目となる2011年の城館探訪。
富岡市と甘楽町境の藤田峠(標高約520m)に到着したのは9時30分頃。

藤田城(群馬県富岡市) 9時45分から10時35分頃まで

事前の情報よりも近年の林道整備などに伴いさらに主郭(推定)付近の地形が大きく改変され、遺構もある様な無い様な表現が難しい事態に。
キャンプ場にともなうハイキングルートの整備により、東側からの尾根筋のルートも山崎一氏が踏査した頃の面影は消失しておりました。
烽火台と推定されている標高631.4mの山頂部へといたるルートもなかば荒廃。


二ツ山城(同上) 10時35分頃から12時30分

所在地がいまひとつ不明確なので、藤田峠西側の藤田城からそのまま敢えて歩きやすい林道を避け足元の悪い尾根筋経由でアプローチすることに。
山頂から北西にのびる尾根筋を約280mほどすすんだ標高600m強のピークまで降下。

ここからさらに北西尾根筋へとルートをとり、直線距離にして約500m、2か所目の標高約550mのピーク付近の「城跡」へ到達。
しかし、ここも予想通り明確な城郭遺構は確認できず。
強いてそれらしいものを挙げれば幅8m×長さ約30mほどの痩せ尾根上の平坦地なのかと。
北東側にのびる腰郭風の尾根筋の位置も資料と対比するかぎりでは些か曖昧。
念のため標高544mのピークまで移動して地形を確認。
その途中土塁の様な地形と堀切のように見えなくもない自然地形などを確認するも城郭遺構と関連付けるには余りに無謀(苦笑)

踏査中は連続する棘の出現に気力・体力ともに喪失。
帰路の林道の棘にも失笑するほど。
尾根筋を誤ることは考えられないので、残る可能性としては時折あるように「中世城館報告書」に記された所在地自体に誤りがあることくらいだろうか。


大島下城(同上) 13時20分から13時35分

上記のような事情のため急遽追加で探訪。
といっても耕地化された平城跡。
現存している石塁は川原石を使用していることを除きその時代背景は不明の一言。
よく見ると南端部の宅地側にも土塁(石塁)遺構が現存。
という次第で耕地化された平城が本日の最大の収穫に。

大島下城の石塁
大島下城の石塁


やはり還暦を過ぎたからなのか、足回りの筋力が大幅に低下している模様。
加えて腰痛、右膝痛、神経痛...来年の今頃が正直怖い様な(汗)

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