本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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立城(印旛村) 10時35分から11時30分

城館としての伝承が残り、たまたま当地にお住まいの方より当該伝承等を伺うことに。
竹林に覆われていた延長40mほどの土塁も、その伐採により明確な姿に。
小口、堀跡、切岸、その他の低土塁も残存。
 

立城
立城


ただし西から北側にかけて台地辺縁部に存在する溝は純度100%表示の畑の根切溝(笑)
出典は「印旛村史」より。
県教委の悉皆調査からは先の鎌刈館を含めると計3か所の中世城館(類似遺構)が除外されていたという次第。


ジョウビヨ(印旛村) 11時35分から13時00分

こちらも出典は「印旛村史」より。
郭内の地面が郭外の地表と比べて3mから4m低いという不可思議な遺構。
もののついでに、「印旛村史」では土塁の位置について、北と東に残存すると記述。
その記述を元に探索したところでは、まず北と西にかなり湾曲して残存。
さらに複郭の跡のような地形も確認。
城館跡と断定できる確実な決め手には欠ける状況。
したがってデジカメ画像よりも俯瞰図で。
 

ジョウビヨ
立城


それにしてもどのような字を宛てるべきか全く見当がつかず。


瀬戸浅間神社(印旛村) 14時00分から14時30分

浅間神社の裏山が気になる地形。
伝承、地名を含めて城館に関係する歴史的な要素は皆無。
あくまでも地形。
ただひたすらに印旛沼方向に張り出した地形というだけの拘り(苦笑)

一応2か所の平場を確認。
部分的には腰郭状地形に見えなくもないような。
全体としてはどう見ても丘陵尾根筋の緩斜面かと(爆)


師戸金比羅神社(印旛村) 14時40分から14時50分

印旛村内で当たりを付けた個所は10か所以上。
これもその一つ。
船着場には相応しい金比羅神社。
比高差が僅かとはいえ切立つ崖線。
しかし廃棄物の不法投棄防止に伴う立ち入り禁止の表示が。


洲崎砦(佐倉市) 15時10分から15時25分

奈良県立文化財センターのデータベースと関連出版物が示す所在地には僅かな乖離がある模様。
前者では道路東側の現況家庭菜園の台地を明示。
たしかにそれらしい平場と切岸地形は存在。
しかし、どうも狭隘に過ぎる感が無きにしも非ず。
 

洲崎砦
洲崎砦

後者では反対側の西側台地。
その間は距離にして約50メートルほどの違いが。
事後整理の諸状況から勘案する限り、どうやら後者の方が正解の様子かとも。
ただし当日の残り時間の関係で、前者の場所しか確認していない管理人なのであります(汗)

然もこの日は最大瞬間風速が15mほどの突風。
いつもの資料バインダーが、まるごとごと吹き飛ぶというトラブルが。
もはや軽い足取りでは追うことができない我が身故。
畑の中をひらひらと舞いながら飛び去っていく資料群を眺めつつしばし呆然。
加えて運悪く徒歩移動のために、4か所分もの資料が在中。
幸いにも当該地形は小規模ながらも谷津状地形。
無論風の収まるのを待ちながら、速やか?に全て回収に成功。


臼井田宿内砦(佐倉市) 15時30分から16時30分

臼井城支城の中で最は最も遺構保存状態が良好とされる砦。
「砦」との名称が付されているものの、城郭と呼ぶに相応しい縄張り。
見所は2か所の郭を区画する大規模な土塁と櫓台。
腰郭も多数が残存。
周辺は完全に宅地化。
関係者の方々の保存に向けての長年の努力に深謝。
遺構に関する事項をその感動とともに詳細に記述すべきところ。
然しこのところすっかり嵌ってしまった下手くそな俯瞰図で代用。
 

臼井田宿内砦
臼井田宿内砦


稲荷台砦(佐倉市) 16時35分から16時40分

宿内砦に半ば隣接しているような位置関係。
洲崎、田久里などをふくめ、全て臼井城外郭部の拠点なので当然といえば当然。
元来の地形が地山ごと改変されている印象。
このため具体的な所在地がいまひとつ確定できないのでありました。
やむを得ずやや北東側に所在する稲荷台公園の風景などを撮影。


田久里砦(佐倉市) 16時50分から17時00分

南臼井台の住宅地の一角。
一帯が臼井城跡地形が南西方向に傾斜しているので住宅地の日当たりは良好。
無論遺構は消滅。
ん、そういえばウェブ地図の「いつもガイド」では「白井台」と誤記。
ついでに思い出したので、奈良文化財研究所の文化財データベースでは本埜村と印旛村の標記がかなりの部分で混乱中。
閑話休題。
嬉しいことに公園の一角には小さな祠とともに城跡の説明が記された説明版が設置。
予想外のこうした配慮に遭遇すると、心なしか世の中が和んで見えてくるのであります。
 

田久里砦
田久里砦


忍台城(佐倉市) 17時40分から17時45分

一夜城公園が近いので訪れたようなもの。
地表の遺構は皆無。
公園名に「城」の文字も無く、石碑も無く、説明版も無く。
15世紀後半頃の陣城と推定されているという。
 

忍台城
忍台城


謙信一夜城(佐倉市) 17時45分から17時50分

上杉謙信が永禄年間に越山して関東を制圧。
その際の陣城と伝わる個所。
1973年の発掘調査により方形の空堀と土塁、小口、櫓台の存在が確認されたという。
宅地化により遺構は消滅し、現在はその東側付近に「一夜城公園」が整備。
城跡の由来が刻まれた立派な石碑が建立されているという情報は未収集。
日没後の夕闇迫る人気の無い公園で、ひとりニヤニヤとほくそ笑む不審者を演じておりました。
 

謙信一夜城
謙信一夜城


平日とはいえ自宅を出たのはすでに午前7時20分過ぎ。
このところ城館探訪の前日は早めに就寝しようと心に決めているのではありますが、思いつく限りあれもこれもといろいろと調べ物を。
そうしているうちに大抵は翌日となっていることが多いのであります。
このため予定起床時刻までは睡眠時間が3時間乃至4時間という計算に。
このためなかなか早起きが難しく、当然の結果として交通渋滞などにより現地への到着が遅延。
かくして1日あたりの探訪件数は通常5か所前後に。
然しこうしたことを繰り返していると、数合わせの悪知恵も。
夕刻からの分刻みによる4か所の駆け足のごとき城館探訪はまさにそのもの。
多少の事前調査をしたとはいえ、所在地明確、遺構確認不要、長時間滞在無用の三拍子が具備しております(苦笑)

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臼井田宿内砦跡に関する資料
初めまして。
一昨年、埼玉からはるばる千葉県佐倉市~八千代市まで遠征されたレポートを、遅ればせながら拝見いたしました。
臼井田宿内砦跡に関する資料ですが、壊滅の危機に際し保存を訴えて1994年*に、八千代市郷土歴史研究会機関誌『史談八千代』の第19号に「緊急レポート 臼井田宿内砦跡の現状と歴史的意義」と題する記事を載せました。(*千葉県教育委員会の上巻調査報告書より一年前)

『史談八千代』の入手方法は下記ページの一番下をご覧ください。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/kyoudosikenn/sidannyatiyo.htm
ご参考にしていただければ幸いです。
蕨 由美 URL 2011/03/09(Wed)23:50:06 編集
Re:臼井田宿内砦跡に関する資料
>初めまして。
こちらこそ、はじめまして。

>一昨年、埼玉からはるばる千葉県佐倉市~八千代市まで遠征されたレポートを、遅ればせながら拝見いたしました。
態々のコメントを賜り御礼を申し上げます。

>臼井田宿内砦跡に関する資料ですが、壊滅の危機に際し保存を訴えて1994年*に、八千代市郷土歴史研究会機関誌『史談八千代』の第19号に「緊急レポート 臼井田宿内砦跡の現状と歴史的意義」と題する記事を載せました。(*千葉県教育委員会の上巻調査報告書より一年前)
>『史談八千代』の入手方法は下記ページの一番下をご覧ください。
>http://homepage1.nifty.com/sawarabi/kyoudosikenn/sidannyatiyo.htm
>ご参考にしていただければ幸いです。
私物の現代史関係の資料寄贈手続などに伴い、近々習志野市方面へも出かける予定もございます。
あわせて県中央博にも立ち寄らせていただきます。
貴重な情報のご提供、どうもありがとうございました。
【2011/03/10 17:20】
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