本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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最近戦国時代を中心とした山城などの往時における樹木の植生状況が気になっております。

比企地域に所在する小倉城(ときがわ町)、杉山城(嵐山町)、腰越城(小川町)、青山城(同)などは明らかに周辺を取り囲む山稜の方が標高がより高いのが現実。
一般に復元イラスト等には樹木が一本もない山城が描かれている場合が多いのですが、あくまでも読者側の見た目の分かりやすさを優先しているものと思われます。
現実には地形的に余程の独立性が確保されていなければ、まずありえそうもない話かとも思われ。
基本的に城からの見通しのよさと、外部から見通されることは別物と考えるべきかと考えるのが自然なのかと。

篭城時には一般に有用とされた松類、あるいは湧水などの水の手を確保するため保水力のあるブナ(枝は薪材、実は食用で油の採取も)・ナラ(薪材)、あるいはカシ、シイなどの照葉樹等が相応しそうな印象で。
加えて民俗学、宗教的な観念からも城を禍から守る神仏の依代などとしての竹木の存在は否定できない要素であるような。
また保水力と斜面の強度から考慮すれば、現在よく見かける杉の植林帯のような存在は先ず以ってあり得そうもなく無く、また、少なくとも桜が植えられていたこともなさそうではありますが。

果たして樹木が存在していたであろう郭内の植生状況はの真相は。

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