本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコなどの話題に終始しておりまする。なお2007年末から漸く群馬方面へと進出し、2008年6月には福島中通り方面、11月には栃木県南、12月には茨城県南、2009年2月には千葉県北部、5月には山形県村山地方と少しだけ領域を広げ始めております。              (2009/05/21 説明文更新)
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郡山合戦時に関連していたと考えられる城館の位置関係を古い航空写真に再現してみました。

画像上部の「山王館」(拙サイトでは久保田山王館)は郡山合戦時の伊達氏側援軍の最前線と考えられ、その右の「久保田城」(別名比丘蓮館か)がその出城で、これに比して「稲荷館/郡山城」は伊達氏側に属しているものの敵中に孤立し安い立地であることも明瞭です。
一方従来は郡山城に比定されていた台地に所在している「伝郡山城」(一説には茶臼館とも)の方は逢瀬川の対岸に所在しており、佐竹・蘆名連合軍の陣城説も頷けます。

自分にとっては多少分かり易くはなったのですけど、いちおう関係する文献を可能な限りあたったりしているのでこれを作成するのは結構な手間です。

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