本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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2か月ほど前に購入した折り畳み式の日傘。
アウトドア用品のサイトで販売していた特価品。
確か購入価格は1600円くらいだったかと記憶。
既に何度かは使用していたが、この夏のあまりの暑さに閉口して暫く出番なし。
晴雨兼用ではあるが、径サイズは比較的小さめかと。
このため豪雨時には適さないが短時間に止むであろう夕方の俄雨程度には対応できそうな気もする・・・

などと、自分自身の「生存確認」の意味合いも含めて凡そ2か月ぶりとなる駄文を書き記している。

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今月も何とかウォーキングを継続中。
ほぼ毎日のこと故に、ふじみ野市内や近接する川越市内方面は流石に飽きてきたように感じている。
今回は地蔵街道経由で多福寺、木宮地蔵堂、多門院方面まで足を延ばしてみた。
所沢市の多門院については近年はツツジや牡丹など季節の花々が咲き乱れ、ちょっとした観光地のような趣を醸しだしてさえいる。

この日の予想気温は摂氏30度を超えるとされていたことから、いちおう日陰のルート選択、給水・日除けなどの暑さ対策を講じて赴く。
とはいえ酷暑の中、往復14kmを歩くというのは半ば苦行のようにも感じなくもない。
それでもほぼ毎日歩いていることから、足底筋膜炎などを含む足回りの不具合については今のところ小康状態を保っている。

正午近くとなった帰路のルートはどこを通行しようにも、燦燦とギラつく太陽光から逃れる術はないことから、久しぶりに砂川堀に架せられた永久保境橋(所沢市と三芳町の境)から折り返すこととした。
この辺りは1980年代頃までは仕事で幾度となく巡回していた地域ではあったが、いつの間にか道路幅員も拡張され当該地の無名の小さな橋にさえも名称が記されるようになっていた。
ふと橋の上から何気なく西の方向を望むと、5月末という時期にもかかわらず霊峰富士の姿を認めることができた。
砂川堀流域の低地ではあるのだが、他地域のように視界を遮る平地林、倉庫群などの大型建築物が介在していないことから、現在では数少ない絶景ポイントの一つといっても良いのかも知れないとも感じた。

かくして本日の歩行距離はその後のスーパーへの買い物などを含めて、20kmを凌駕することとなった。

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昨年とうとう古希を迎えたと思っていたら、早くも一年が経過してしまった。
数年ほど前からは年金受給の開始とともに健康保険証も高齢者用となっている。
この年になると流石に誕生日祝いというものは無い。
平均寿命で云えばあと数年くらい。
平均余命ではもう少し長いようだが、健康寿命では最早あと2、3年かとも。
そろそろ花粉の季節が到来しているらしく、朝の起床時刻から目が染みるように痛い。

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(メモ)
お陰様で先週RSウィルス(感染症区分5類に相当)に感染した生後7か月となる孫が今週の24日に無事退院しました。
肺炎の所見は確認されていなかったようですが、血中酸素飽和度の数値が90を下回っていたなどのことにより急遽入院をしておりました。
退院に際しては何時ものように運転手を拝命しておりましたが、新型コロナ感染症の流行の折から僅かな時間に2台の救急搬送が確認されました。
こうした困難な医療環境という社会状況を考慮しますと、1歳未満の乳児とはいえ緊急入院措置となったことは極めて運に恵まれていたのかも知れません。
なお同時に検査を受けた新型コロナウィルスに関しては幸いにして陰性とされておりました。

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本日午後0時半頃、件のブルーインパルスと推定される6機編隊の小型ジェット機群が我が家の城空域を東寄りに通過し、途中から翼を翻し南寄りに進路を変え東京方面へと飛行するのを目撃。
また、その直後約1分ほど遅れて、同様の編隊(※たぶん予備機か)が先の一群を追尾するが如く同じく東京方面へと飛び去った。

生憎と雲量が多いこともあり、東京方面の視界はやや不良。
このためその後の当該機影については目視の限界を超えていたが、察するに今次式典の記念飛行と目される。

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